清武のアンチテーゼなプレー
『自由』と『戦術』の狭間というテーマでは、清武にも触れずにはいられないですかね(苦笑)昨年の話で、どこかでブログに取り上げよう!と思いつつ、ほぼ更新しなかったので、ここで書いておきたいです。
昨年までの小菊セレッソの個人的な印象は、
縛りの多い戦術を採用している
と言う印象はありました。
この辺について、小菊セレッソにおいては必ず『正解のポジション』というのはありました。スタンドから俯瞰で見てる方は分かると思いますが、そこ空いた!あそこに誰かが入ればバランスが良いよね!みたいな感じで。個人的な感想ですが、
小菊セレッソについては、皆、キビキビとその正解のポジションに入っていくな~
と感じてました。
そこから、選手みんな真面目だな~、監督の生真面目さがチームに現れてるな~!?とかいう風に感じておりました(笑)
ただ、清武に関しては、多くの選手とは少し印象が違ってました。正確に言えば、昨年の2024年からプレースタイルというか、選択するプレーの質が変わった印象でした。
2023年までに関しては、小菊セレッソの戦術を踏襲しつつ自分の色を出そうしてる感じでしたけど、昨年2024年については、
清武は自由にプレーし始めたな
と言う風に思ってました。多分ですけど、
縛りの多い小菊戦術の中で、敢えて・・・外してプレーしてるんちゃうかな?
と言う感じで見てました。
これを想像するに、昨年の序盤、セレッソがまだ好調だったころに清武は試合にほとんど絡めず。清武が試合に絡めてなかった中で、セレッソは好調が続き、そんな中で試合に出る為に、
他の選手と違いを作る為に、敢えて、外した所でプレーをしてる・・・かな?
と感じてました。あくまで、僕の主観ですけど。
天皇杯でしたかね!?渡邉りょうの得点をアシストした際がまさにそんなシーンで、
インサイドハーフとしては、清武のポジションはそこじゃない!だけど、得点が生まれた!
みたいな感覚でそのゴールを見てました。
この辺、清武なりのアピールの仕方やったんかな?と言う感じで見てました。自由にプレーをするのは、清武の強みを最大限に出す事にもなりますよね。だから、どんどん自由にプレーをして結果を出す。
ただ、その『自由』にプレーするという強みを出せば出すほど、『戦術』の縛りからは大きく外れてくる。それは、チームを管理する監督には、決して良くは写らないですよね。
ならば、試合後半のオープンな展開の時にスーパーサブ的起用でも・・・と思う所ですが、そこにも障壁。正解のポジションを気にせずにプレーしてる選手が、昨年のセレッソにはもう1人居まして・・・・それが、ブエノ。
ブエノに関しては、これまで守備をほとんどしてきてなかったんやろな!?と言う感じの動き方で(苦笑)なかなか、小菊さんの合格点を得られなかった感じでしたが、それでもブエノには一発の魅力がありますよね?
縛りの多い小菊戦術においては、清武は『自由』を選択をした。ただ、『自由』を志向する選手を使うのであれば、一発の魅力があるブエノが優先される・・・と言うのが、昨年のセレッソにおける清武が置かれてた状況だったかな?と思っていました。
不遇・・・とでもいうべきだと思うのですが、であれば、戦術を踏襲してプレーする方向に舵を切ってもよさそうなのですが、清武からはそれでも自由にプレーする事を辞めない印象を受けてました。その姿から、
自由にプレーした上で結果を出し、自分の価値を証明する
そういう気概を感じました。
鳥栖への移籍も、だから良く分かるというか。
小菊が清武を使いこなせない・・とか色々と言われておりましたが、そんな理由であるはずもなく(苦笑)キャリア晩年に差し掛かった上で、もう一度、
ファンタジスタとしての自分の価値を証明する為
だったんだろうなと思っております。
自由にプレーして結果をだす。あくまで、それにこだわる。
ここで改めて思い出して欲しいのが、曜一朗の引退会見の言葉。
よくも悪くも選手がサッカーをしているというよりは、させられているという言い方はよくないかもしれへんけど、いまは90分間でやることが決まっているようなサッカーになっているんじゃないかなと。
https://www.ronspo.com/articles/2025/2025012402/
どのチームも『戦術』という縛りがある中で、清武のファンタジスタとしての価値を証明する選択。それはつまり、
戦術ゴリゴリの現代サッカーに対する、ファンタジスタとしてのアンチテーゼ
という所もあったんではないかな?と思っていました。
自分の価値を証明する為、『戦術』に縛られることへのアンチテーゼ、これら全てを持って、
ファンタジスタとしての覚悟
清武の鳥栖移籍にはこの言葉が個人的に一番しっくりくる感じでした。清武の移籍をそう受け止めていたので、本当に鳥栖で上手く行って欲しかったんですけどね・・・(苦笑)
ファンタジスタに幸あれ。
ここまで、『戦術とは?』という所から、『自由』と『戦術』の狭間というところを書いてきました。
『自由』で能力をフルに出せる曜一朗のコメント、そして、昨年の清武の気概を感じてて思う事は1つ。
ファンタジスタに幸あれ
というところですよね。ファンタジスタは既に死語になってるような気もしますが、それでも切実に感じる所がありました。
昨今のサッカーは戦術的に、『FWに強度の高い守備力が求められ、CBに華麗なボール捌きでビルドアップが求められる』というのはありますよね。CBがゲームを組立て、FWが守備に奔走する・・・という所。
僕がオールドサッカーファンだからですかね・・いつも、こう思います。
いや、逆や!逆!ww
と(笑)
本来のサッカーは、
FWが華麗な足技を見せて相手ゴールを陥れようとし、屈強なDFがそれを跳ね返す。
だと思うんですよね。
その戦い、せめぎ合いこそがサッカーにおける華だ
と思ってるのですけど、今の戦術はこれの逆転現象が起こってるんですよね。
DFの華麗なボール捌きも見てて、確かに面白い。でも、華麗なボール捌きは、やっぱりゴールシーンでオフェンス側で見たいですよね。本当、ガチンコフィジカルなFWがパワフルにゴールを決めるシーンが最近よく見るゴールな印象で、小柄な選手がテクニカルにゴールを落とし込めるシーンは少なくなった・・・という印象は強いです。
ファンタジスタが居なくなり、サッカーの楽しみ方が変わったなと。本当、少し寂しく感じる時もあります。サッカーの楽しみ方が、世間的に戦術論目線になるのも理解はできる。
が、『自由』も見たいんですよね(笑)あくまで個人的に・・・ですけど。
サッカーにおいて『自由』というワードをやたら毛嫌いする人を多く見かけます。なんでしょうか、小学校の自由時間のカオスみたいなんを想像するんでしょうか(苦笑)?それはある意味でプロのサッカー選手に失礼だと思っていて、小学生とは違い、
プロは結果に責任が伴う
のですよね。
プロのサッカー選手にとって『自由』とは、
自分を律した上で許されるもの
だと思っています。もう少し具体的に言えば、
責任を果せない選択をしてしまう選手は、本当のプロとは呼べない
です。チームに迷惑をかけるような身勝手な行動は、プロであるならば自ずと選択肢から外れていくはずなんですよね。ピッチ内においても、ピッチ外においても。そういう選手が11人揃えば、必然的に統率も取れてくる。
これって、話す以前のプロとしての前提条件だと思うので、サッカーで『自由』と言えど、小学校のようなカオスなんて起こるはずがない・・・というのが持論。
まあ、自分を律することは、どんな職業のプロでも必要ですけれども(笑)
プロは、自分を律した上での自由が存在する・・・ということ。それを前提にすれば、ファンタジスタと呼ばれる選手に『自由』を与える事も、別に良かったりするのではないかな?と個人的には思う事はあります。
ただ、そうは思うものの、11人の役割が明確にあって成立する戦術論の前では、それを押し通すのも難しいのは重々承知でもあったりします。『自由』を見たいと思いつつ、何ともそこが難しい心境です(苦笑)
逆にそんな戦術隆盛のサッカーだからこそ、
どんなプレーも高次元で実行できる毎熊みたいな選手が出現する
というのも分かります。選手のプレー主体でサッカーを見る僕は、今は、毎熊みたいな選手が出てくるのを楽しんでますかね。
こんな感じで、『戦術』と『自由』があって、今後も『自由』は無くなって行くんだろうな・・と思います。見る側も、楽しみ方を変化させていく必要はあるなと。
『自由』が無くなっていくとは言え、上のモリシの件でも書きましたが、
『戦術』は、『自由』な個人の凄いプレーをチームプレーとして昇華させたモノであるはず
という考え方は押さえておきたいな・・と個人的には感じてます。
これが僕なりの、選手への、強いてはファンタジスタと呼ばれた選手達へのリスペクトのつもりです。
こんな感じで、曜一朗の引退会見から色んなことを感じました。何だろう、ちょっとノスタルジックな気分ですね(苦笑)
セレドル、細々と運営中です(笑)
最後の最後に、セレッソの関連ワードのみのWordleとして、昨年の秋にアップしました、
Ceredle、現在も毎日1問で運営を続けてます
こちらもまた、遊びに来てください!
では、今回はこの辺で(笑)また、今年もボチボチお付き合いください。