2025 セレッソ

【セレッソ】曜一朗引退会見から見る『戦術』と『自由』の狭間

セレサポの皆様、ご無沙汰しております。色々とニュースが多く、たまにはブログを動かしてみます。

柿谷曜一朗の引退が発表されました。つい先日には、セレッソにて引退会見も行われ、セレサポさんにも涙した方は多かったんではないでしょうか?

僕自身、以前にブログ(小説風の記事)で書いたこともあるのですけど、

曜一朗に関しては、曜一朗が中2の時からプレーを見てまして(笑)そんな選手が引退する・・・えらい、時の流れを感じ取ります。

過去の所属選手の中でも、指折りのシンボル的存在の1人。ひとまずは、お疲れ様。そして、ありがとう!次のステージでの活躍に期待したいです。

で、今回の記事は、その曜一朗が引退会見で話した内容について、書いていこうと思います。

気になった曜一朗の言葉

曜一朗の引退会見の中で、とても気になった件があります。

それが、

よくも悪くも選手がサッカーをしているというよりは、させられているという言い方はよくないかもしれへんけど、いまは90分間でやることが決まっているようなサッカーになっているんじゃないかなと。
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いまはミーティングでも、ようわからん戦術があまりにも山盛りで出てくる。それについていくのがしんどいし、試合のために練習を見直すとか、僕のイメージからすると、そんなのはサッカーちゃうやろうと。サカつくやん、みたいな感じなんですよ。
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ボールをまず止めて相手を抜く。それができてからの話や

https://www.ronspo.com/articles/2025/2025012402/

この辺の件ですね。

色々と面白いし、奥が深いですよね。それと、曜一朗らしい表現というか『サカつくやん』は笑うw

戦術が先鋭化され、その戦術を踏襲するにはフィジカルが必要。昨今、よく言われている所ですが、

だからファンタジスタが居なくなった

というのはあると思います。

それを踏まえると、ファンタジスタとも言える曜一朗の苦悩は、この件だけでも、とてもよく伝わる所はありますよね。そして、

ファンタジスタが生きる道というのはないのかな?

と思う事はあります。

ただ、サッカーはチームスポーツである以上、戦術を踏襲するのもマスト。曜一朗の言葉は、逆に現代サッカーでの戦術の重要性を示しているようにも感じます。

この重要な戦術とは何者なのか?今、改めて僕なりの視点を書いてみようかな?と思います。

今改めて戦術論を書いてみる

私事ですが、初めてサッカーを観にスタジアムへ行ったのが1989年・・・ええオッサンですねwwその翌年1990年にイタリアW杯が開催され、VHS録画wwしては繰り返して見直して、、みたいなことをしておりました。

このような感じでサッカー観戦を始めて、もう35年の観戦歴になります。今ほど、情報が無くても、当時はサッカー雑誌を中心に戦術を勉強したりしてました。

でもって、こういう発信もしてて、20年以上前ww HTMLのプログラミングの勉強のために、ホームページ自作。コンテンツの題材として、サッカーの戦術を書いていて、それが初め。

そこから、まだホリエモンが居た頃のライブドアのブログとか、mixiとか、媒体は変えながらも、同じように戦術論とかサッカー観を書いたりし続けてました。当時は、今ほどディープには書いてなかったですけどw

そして、今に至る感じですね。振り返ると、こう言う事をもう20年以上続けてるかと・・・アホですね(笑)

ちょうどこのブログを始める前後位までは、プロ経験者の本なんかで戦術論なんかを読んだりもしてました。試合を見て読んでインプット、それをアウトプットして、自分なりのサッカー観を養ってきました。

こんな感じで、昔からその時々のサッカーにおける戦術を見てきて、自分なりに理解して・・・ということを続けてきましたが、その中で気付いたのは、

その時々で、最新の戦術だ!と言えど『得られる結果』は昔から同じやな!?

という所です。

その時々で、『手段』『やり方』は変わるのですね。でも、

『得られる結果』は同じ

なんです。これが最新の戦術です!と言われても、

その最新の戦術で『得られる結果』は、過去のあの時にも見たよね!?

と僕は感じることが多いです。

これも以前のブログで書いた事ですが、

時代、時代で移っていく中で、流行りの戦術も循環しているような感じなのですね。勿論、月日を経過するごとに、その精度が増してる印象はあります。ただ、不変なものは不変で、それが『得られる結果』という所かな?と思います。

そして、そこをもう少し掘り下げて話すと、その正体のその多くが、

『得られる結果』は、過去の凄いプレーヤーが専売特許として見せ付けてたプレーだった

ということも言えるのではないかな?と思います。

この戦術で『得られる結果』は、昔の○○選手が得意としていたプレーよね!?

と言う感じです。

結局、誰かが以前に似たような事をやっていた。そして、それを戦術として先鋭化させ続けて今がある・・・と言う感じです。あくまで僕の印象ですけどね(笑)

この辺、具体例を挙げようと思います。

ポケットを攻略する

小菊セレッソでも、一時期、頻繁に使われてた用語が、

ポケットの攻略

というところ。『ポケット』と言うのは、よく知られてると思いますが、

何となく、この辺のことを指しますよね。細かいワードをいちいち追うのは辞めたので、間違ってたらすみませんwなんですが、この記事では便宜上、主に相手CB-SB間のエリアを『ポケット』と呼ぶようにします。

ウイングのプレーヤーが大外レーンに張り、相手SBを引き付ける。相手SBが食いついた所を、味方SBがアンダーラップしてポケットを攻略する。今では当たり前の光景です。

曜一朗曰く、『戦術がない』wwと言ってたレビィ・セレッソでも、普通にやってましたよね?

以下の動画で、大外の坂元からパスを受ける松田陸の動きに注目してください!

坂元が大外レーンでボールをキープして相手を引き付け、引き付けた相手の背中(ポケット)に陸が進入する。ポケットの攻略というのは、まさに、こういうプレーでして。

(ってか、坂元のパス、エグいっすね(笑)右足でボールの頭を何故ながら、次の瞬間に股抜きパス!)

この陸の進入のように『ポケットの攻略が重要だ!』と、ここ最近に言われ始めたようにも感じます。が、オッサンサポの僕が言いたいのは、

このプレー、モリシが昔よくやってたよね?

という所です。

ここで、現社長、もうちょっとで会長になるモリシの登場です。ちょうど、良い動画が挙がってますので紹介しておきます。

僕が未だにJリーグ史上NO.1のビューティフルゴールだと思っているゴールで、

西澤アキの超絶スーパーボレー!!!

です。オーバーヘッドと言うべきですかね。このゴールをスタジアムで見てたのですが、今、動画で振り返っても鳥肌が立ちます。

・・・と、主題はそこではなく(笑)

最初にパスを受ける直前のモリシの動き出しに注目

してください!!

動画がこれです。

如何でしたでしょうか?

アキのボレーにどうしても目が行きますが、モリシの動き出しに注目すると、

相手SBが大外レーンのセレッソの選手に食いついた後、モリシは相手SBの背中のエリア(ポケット)を攻略してる

というのが分かると思います。

上で挙げた2つの動画を見比べると、パスコースが少し違ってますが、陸とモリシの狙いは同じで相手CBーSB間ですよね。つまり、

陸とモリシのプレーで『得られる結果』は同じ

ということです。

モリシのプレーは25年前、2000年の時のモノです。勿論、当時に『5レーン』の概念なんぞなかったし、『ポケット』という言葉もなかったです。でも、今現在の戦術でも重要と言われる『ポケットの攻略』を、

25年前にモリシは既に実行してた

んですよね。

あくまで僕の記憶ですが、モリシはもう何度も何度も、こういう形で相手を陥れておりました。

だから、前述しましたが、近年、最新の戦術と言えど、

その戦術で『得られる結果』は、過去のあの時でも同じだったよな~!?

という風に感じる次第です。そこには、

『個人技』で成立してるか、『チームプレー』で成立してるかの違いしかない

と言う感じです。

ここから、サッカーにおける戦術というモノの、個人的な持論を少し展開してみます。

戦術の成り立ちとは?

ここは完全に持論です。サッカー好きのオッサンの与太話の領域です。

上で紹介したモリシの例で言えば、戦術と言うのは、僕の中では、

それで『得られる結果』は、過去の○○選手が得意としていたプレーで得られてた結果

だと考えます。

それを前提にサッカーの戦術を語ると、その定義は、

過去の凄いプレーヤーの専売特許だったプレーを言語化し、チームプレーとして再現しようとして体系化進化汎用化させたモノがサッカーにおける戦術

という定義になるかな?と思ってます。

具体的に上の例のポケット攻略で言うなら、

  1.  モリシが見せたプレーを『ポケットの攻略』と名付けよう(言語化
  2.  『ポケットの攻略』においては大外レーンに選手を立たせ、相手がその選手に食いついた所をその背中を狙おう(体系化

みたいな流れで1つの戦術が生まれてくるものだと。

加えて、モリシのプレーでは、ゴール前で待ってたのは西澤アキ1人でした。この時はアキのスーパープレーでゴールは決まったけど、普通ならゴール前1人ではゴールする確率は低くくなるよね?ならば、どうしようか?

  1.  ポケットの攻略をSBにやらせれば、モリシもゴール前に居ることが出来る。そうなると、ゴール前が2枚になって攻撃により厚みを持たせられるよな!?じゃあ、モリシじゃなくてSBにポケットを攻略させてみよう進化
  2.  そのサイドバックのポケットを突く上がりを、『アンダーラップ』と名付けよう(言語化
  3.  こういう形で言語化、体系化しておけば、他の選手が出ても同じような狙いは出来るよね?(汎用化

みたいな流れ。

もう一度書きますが、このような流れが、

過去の凄いプレーヤーの専売特許だったプレーを言語化し、チームプレーとして再現しようとして体系化進化汎用化させたモノがサッカーにおける戦術

という所かな?と思っております。

最近、やたらと再現性のあるプレー!再現性が高い!とか、再現性という言葉をサッカー戦術論者が使っておられます。それは、恐らく『似たような良い展開を戦術によって何度も生むこと』を指していると思うのですが、個人的に再現というワードを使うのであれば、

過去の凄いプレーヤーの技術を、チーム戦術によって再現している

と言う感覚なんですよね。つまりは、

過去に誰かが見せてた凄いプレーと同じ結果を得るために、チームでどうプレーすべきか?を戦術として決めてる

という感覚です。勿論、偶発的に生まれた結果を解析して、再現しようとしているのもあると思いますが、基本的には特定の選手の凄いプレーがベースなのではないかな?と思ってます。

2000年のモリシのあのプレー、そして近年の『ポケットを攻略する』という戦術を見比べると、これらを物語ってるように思います。凄い選手の発想を、チーム戦術として体系化しているんだと思ってます。

(念のため、ポケット攻略はモリシが起源・・・とは言ってないですよ(笑)あくまで例です)

戦術と自由と狭間におかれるファンタジスタ

曜一朗のコメントに話を戻します。曜一朗のコメント、

ボールをまず止めて相手を抜く。それができてからの話や

この件も、個人的には良く分かります。

戦術の狙いは、チームで同じ狙いを実現する事なんですけど、それに対して曜一朗クラスの選手であれば、

皆でやらずとも、自分1人でその狙いを実現できる

のですよね。それが個人で出来ないで、何が戦術だ!!と言う感じなんだと思います。

何といいますか、寿司職人からみて、シャリロボ(にぎり寿司で使うシャリ玉を作る機械。後はシャリ玉の上にネタを乗せるだけで素人でも握り寿司が作れる)を使う事でお店を開業するペーペーな寿司屋を見てる様な感覚。

シャリロボ使うのも良いけど、まずは自分でにぎれるようになれや!

という・・・・分かって頂けますかね?ww

また、1人で出来るからが故に、

その戦術で『得られる結果』が同じであれば、1人でやっても問題ないでしょ?

という感覚なんだろうな!?と思います。他より俺は出来る!と信じてる選手は、プライドもより高いでしょうからね。

本当、ファンタジスタですよね。まあ、ファンタジスタにしか分かり得ない領域というか、

1人で何でも出来てしまう選手が故の葛藤

という所かな?と思います。

ただ、指示する監督からすると、次の次の展開を考慮して、単独でのプレーに対して『それではダメ!!』という所になるんだと思います。次の次を考えると、その場所に居るのは正しくない・・・と言う感じ。

戦術の先鋭化は、選手の自由を奪う・・・そんな感じですよね。次の『得られる結果』は同じはずなんですけどね。

この『1人で何でも出来てしまう選手』で戦術の枠に押し込められて苦しんだのは、曜一朗と時を同じくして引退を発表した、

丸橋祐介

もそうだと思います。

上のポケット攻略の所で『アンダーラップ』というワードを出したのですが、丸橋はデビュー当初から『オーバーラップ』と『アンダーラップ』を使い分けられる選手でした。相手に外を切られたら中(アンダーラップ)、中を切られたら外(オーバーラップ)という使い分けをデビュー当初から完璧にこなしていたので、

丸橋、ホンマに凄ぇな・・・

と、多くのセレサポさんも同じだと思いますが、毎回、唸らされてました(笑)対面の相手からしても、常に逆を取ってくる丸橋は嫌な相手だったと思います。

ただ、この時の丸橋のプレーが、『個人でボールを持ち運ぶ』時のプレーでして。チームプレーとしてのそれではない印象でした。丸橋は自分1人で運べるのに、チームプレーとしてボールを前に運ぶ戦術が採用されている。そこで、プレーに迷いが出てたように思います。

今の戦術は、相手の立ち位置によって正解のポジションが決まってくる感じです。が、丸橋は正解のポジションに居ない事が多かった気がします。ただ、

丸橋の能力からすれば、そこが正解のポジションなんだろうな・・・

と思ってました。

でも、チーム戦術がそこに立つ事を許さない・・・という感じでしたかね。ロティーナ就任辺りから、丸橋のプレーに窮屈さを感じてました。

このような感じで、『自由』と『戦術』との狭間に居るプレーヤー・・・ここ数年の曜一朗や丸橋に感じてた印象でした。

そして、忘れてはいけない、もう一人を挙げてみましょうか。それは、

清武弘嗣

ですね。

次ページに行きますが、清武のことにも触れておきます。

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