クルピ時代:タイミングが悪かった。
少し話が脱線しましたが、クルピ時代に入っていきます。クルピに至っては、第4次政権(笑)
その第4次クルピ政権は、まあ色々とありました。個人的にこの時のクルピに対しては、
就任したタイミングが、ちょっと可哀想やったな
と言う印象でした。
当時のセレッソは30歳前後の選手が主力(今もですかね(苦笑))。ちょうどこの頃に、このブログの毎試合レビューを開始したのですが、
過渡期
という表現を多く使った記憶があります。若手選手への切り替え・・というのが1つのミッション。
現在のセレッソの主力:鳥海や進藤、今では広島の選手ですが、加藤陸次樹や新井直人、松本泰志、実力者:原川力ら多くの若手~中堅が加入したのがこの年で。また、
戦術的にベースラインを上げる転換期でもある
と。この難しい状況で、老将がどういう采配を見せるか?というのは注目してました。
リーグ序盤、まだ上手く回せてたように思います。その中心が当時39歳の大久保嘉人でしたね。クルピの言う『サッカーに年齢は関係ない』は、
若手選手だけでなく、ベテラン選手にも適用されるんだ
と思った記憶があります。
嘉人の獅子奮迅の活躍もあって、リーグ戦折り返し時点で5位という好成績。老将は死なず、健在っぷりを感じたところでした。
・・・と、上手く行っていたのも、ここまで(苦笑)でも、リーグ後半戦は序盤から失速。周知の通り、クルピ退任という結末を迎えます。
色々と言われておりましたが、この件については個人的には前述の通り。
就任したタイミングが、ちょっと可哀想やったな
と感じておりました。個人的に考えていた、第4期クルピ政権時の失速の最大要因は、
ACLがあったから
だと思っていました。
Jリーグで一部の資金力豊富で選手層を厚くできるチームを除き、ACL参加チームはリーグ成績を落とすことが多いんですよね。
- 2020年: 横浜Fマリノス 9位(前年リーグ戦1位)
- 2020年: 神戸 14位(前年天皇杯優勝)
- 2019年: 浦和 14位(この年のACL準優勝もリーグは振るわず)
- 2018年: 柏 17位(J2降格)
セレッソも例に漏れず。初参加の2011年(リーグ11位)、2014年(J2降格)、2018年(リーグ7位)と、2018年を除き、残留争いに巻き込まれるという感じ。ACL参戦は名誉である反面、中~小規模のチームにとっては過密日程になるのが苦しい所だと思います。
加えて、この2021年ACLを更に難しくしていたのが、
コロナ禍での開催であったこと
ですね。記憶力の良い人は覚えてると思いますが、この時の大会はコロナ拡散防止の為、『バブル方式』というやり方を適用されてました。
この年のセレッソはタイでの集中開催で試合をこなしていましたが、そのバブル方式で大きく移動を制限されてました。許されたのは『指定されたホテル』と『練習場/試合会場』の往復のみ。息抜きに外出もできず、ホテルの敷地内での行動しか許されなかったとのことです。
こんな軟禁状態の生活がタイで一ヶ月、続きました。そして、帰国後もコロナウィルス潜伏期間を考慮した待機期間2週間がありました。
帰国後のその待機期間という所で、タイの時と同じ『指定されたホテル』と『練習場/試合会場』の往復のみの移動制限が入ってました。日本に居るのに自宅に帰ることも許されず、外出することも許されず。タイと同じような軟禁生活が、日本でも続いていたのですね。
この辺、お読み頂いている皆様へ、自身に置き換えてみて想像して頂きたいのですが、
こんな軟禁生活を1か月半も強制させられて、ストレスが溜まらない人は居ますか?
という所は問うてみたいですね。
ここで選手のコメントを紹介しますが、大久保嘉人。嘉人の著書内で、この時の体調の変化について、
普通に生活していたつもが、4kgも体重が落ちた
大久保嘉人 著:俺は主夫。職業、現役Jリーガー
という趣旨の事を言っています。このような状態で、まともにサッカーが出来るか?という所に疑問は出ますよね。
でもって、悪いことが重なります。そのストレスでコンディションが落ちた状態で、
日本の夏、酷暑の中での13連戦スタート
というところ。8月15日~9月26日、およそ40日間ほどで13試合。6週間、毎週2試合をこなす、恐らくは過去のセレッソで例を見ないほどの連戦があったんですね。
クルピ最後の試合となった湘南戦(13連戦4試合目)。コンディションの落ちたチームで、運動量でゴリゴリ押してくるチーム相手は厳しかったですよね。松田陸が単純な球際の争いで力なく競り負けたのを見て、
陸がこんな競り負けするのは、セレッソで初めて見た。相当、コンディションが悪いんやな
と感じてました。
このクルピ退任を受けて、ロティーナと戦術的な視点で対比をする人を多く出始めましたが、個人的には、
その対比はフェアじゃないよね
と言うスタンスでした。
コロナ禍ACLによるコンディション差を考慮せずに対比を語るのは、さすがにクルピが可哀そうかな?
というところで。
戦術は、選手のプレーの集合体。選手のプレーがベースなのに、そのベースがストレスで衰弱している状態。戦術批判も何もないですよね(苦笑)ただただ、タイミングが悪かったなと。個人的にはそれしかなかったですね。
とは言え、戦術的な視点で語らないのも、それはそれでフェアではないので(笑)僕なりの戦術的な目線も書いておこうと思います。ここでも、選手のコメントを引用します。
前に出るのか?出れないのか?
クルピ時代の問題点として言われるのが、単純に失点が増えたこと。得点も出来ていた(嘉人が怪我してから減りましたけどw)が、失点も増えたな・・・みたいな試合が多かったです。
特に、
先制点を取っても守り切れず、引き分ける/負ける試合が増えた
という所は感じてました。面倒臭いので集計はしないwですが、先制したのに追いつかれた・逆転されたという試合は多かった印象でしたね。
それ故、ユンさん・ロティーナとの対比が増えたのだろう・・・とも想像はしてます。あの頃は良かったと(苦笑)
この『先制点を取っても守り切れない』問題について、言及した選手が居ます。それが、
原川力
ですね。
今回紹介する原川のコメントは小菊セレッソに変わってからのものなのですが、クルピ時代にも同じ問題を抱えていたと思うので、クルピ時代から小菊政権初期のころの問題だと捉えてもらえればと思います。
このコメントは、2021年のホーム鹿島戦。原川のゴールで先制しながらも、上田綺世の2ゴールで逆転された試合でした。
この試合後のコメントで原川は、
点を取った後の試合運びで、人に行けなくなるシーンが多い。ブロックを組んだ状態からどう押し返すかは、チームとして課題かなと思います。
https://www.cerezo.jp/matches/result/2021-09-26/
とあります。加えて、
僕は今年から来ているので、去年のやり方はハッキリ分からないですが、去年はそのようなやり方で守っていたと思います。プレスのスイッチがなかなか入らないので、そのスイッチをどこで入れるのか。入れた後に、全体がどう押し返して、ラインを上げていくのか。そこはもっとチーム全体でやっていかないといけないと思います
https://www.cerezo.jp/matches/result/2021-09-26/
と言う形で結びます。これもURL貼っておきます。
この原川のコメントを見て、個人的には、
ズバリやな。
と感じてました。
上のロティーナの所で書きましたが、ベースラインが低いと相手の『即時奪回』にハマめられる。だから、原川は機を見て相手を押し返したいのだけど周囲の選手が連動して付いてこない。それが、得点を取った後に顕著にみられると。
原川はコメントで『今年から来た』としてるのですが、恐らくは、
『去年まで居た』選手はブロックを敷いて守る事が体に染みついてた
のですよね。その習慣が、なかなか取れないような感じだったのではないかな?と。
この辺を推測するに、恐らくはユンさん・ロティーナ時代からの『良い守備から』という所からの、
割り切って守る
が残っていたのだと思います。原川の『去年はそのようなやり方で・・』という所にも合致しますよね。
もう少し主観強めに踏み込んでしまうと、
ユンさん時代の成功体験が、足枷になってない?
という印象はありました。これ、ロティーナ時代にも感じてた所です。
チームのベースラインを下支えするのが、DFラインの選手。当時のDFラインの選手は、松田陸、丸橋、瀬古歩夢ら、ユンさん時代から所属する選手が多かったのですね。この辺の選手は、『割り切って守る』の習慣が身についてましたよね。
ルヴァンカップ決勝:川崎戦が端的でしたが、試合開始早々の先制点後、ほとんどの時間帯で『割り切って守る』という試合展開でした。それでタイトル奪取したので、
リードしてる試合では『割り切って守る』が、所属選手の中に成功体験として残る
というのは所はあったのだと思います。
それが選手の1つの拠り所として残ったと。所謂、立ち帰る場所だと。
ただ、原川の動きから見て、クルピから『ラインを上げろ!』という指示はあったと思います。が、元々居た選手達はその成功体験があるので
リードしてる状況だと『割り切って守る』スイッチが入ってしまい、ラインを上げるに上げきれなかった
んではないかな?と。
ユンさん・ロティーナと4年、そういう守り方をしてた選手達、容易に癖・マインドは切り替わらないのだと。
勿論、試合状況によっては『割り切って守る』時間帯もありますし、それが悪い事だとは思いません。が、それ一辺倒では、どこかで守り疲れて破綻してしまうのも想像が付きますよね。結果、ベースラインが下がるので、相手の『即時奪回』にもハマり易い状況が生まれる。
ユンさんの頃は上手く行ってたのですけど、その時と何人かの選手は違う。なので、『割り切って守る』の成功体験を持つ選手と、原川のような相手を押し返したい選手の間で、
動きに乖離が生まれてたのが、クルピ・小菊政権初期の頃の大きな問題点だった
と思っております。
監督批判をする人の多くは、選手のプレー全てが監督の指示だ!みたいに思っているような節を感じます。が、実際は選手個々のマインド、状況判断で動いているはずです。監督の仕事は、選手に指示・戦術を与えることで、選手のマインドに良い影響と選択肢を与える事・・・だと思ってます。
でも、長い年月で植えついたマインド(成功体験付き)は、なかなか変えられない。瞬間的にプレー判断を求められるサッカーでは、新しい監督からの指示があったとしても、どうしても元々のマインド・習慣で動いてしまう所があるんだと思います。この辺、
セレッソの4-5年間のチーム戦術の偏移の中で生まれた乖離
だと思っています。
個人的にこう理解していたので、チーム作りは難しいなと、改めて感じた時期でもありました。そういう意味でも、クルピの時は過渡期、転換期と言う感じでしたかね。そこにACLの過密日程があり、本当、カオスのような状況だったなと(苦笑)
そんな感じで、最後、小菊さんに移っていこうと思います。