サッカー系コラム

【備忘録】2004年バルセロナ:脱出劇!恐怖の寝台列車。【海外旅行のリスク】

目次

■1ページ目

■2ページ目

■3ページ目

バルセロナ出発( 2004年 12月8日 19:30): 5つの違和感

バルセロナ・サンツ駅のホームで、乗車予定の車両に向かう。乗る予定の寝台列車は、15車両程度。俺たちが乗る車両は、その真ん中あたりの車両だった。疲れた足にとっては、なかなか遠く感じる距離感だ。商談時からのスーツ姿も、早く楽な服装に着替えたい。

ただ、ここから既に恐怖が迫っていた。その恐怖に至るまで、5つの違和感を感じることになる。まずは、その5つの違和感から順を追って書いて行くことにする。

1つ目の違和感: 嫌な視線

俺たちは、停車中の寝台列車に沿ってホームを歩く。3両目位に差し掛かった時、電車に寄りかかる2人組を見かけた。1人は鉄道会社の乗務員、もう1人は乗客だと思われる。何やら2人で話し込んでいる様子を見た。この時は、乗客が座席の場所でも聞いているのかな?程度に見ていた。

俺たちの乗車予定の車両はもう少し先。この乗務員と乗客を通り過ぎる必要がある。彼らの脇を通り過ぎようとした際、凝視してた訳でもなく視界に入った程度の感覚ではあったが、乗客の方がこちらを見て目が合ったような気がした。その時、

ん?なんか嫌な視線やな

という気がした。今まで味わったことのないようなとても異質な視線というか、気持ち悪さを感じた。まず、最初に感じた違和感だ。復路は4人部屋である。正直な所、

今の乗客とは同室になりたくないな・・

と直感的に感じた。

これは俺だけではなく、高山も同じことを感じていた。俺がその乗客の視線の違和感を感じたのと同時に、

高山
土塔さん。今の人、危険なような気がする。

高山もその乗客の嫌な視線を感じたらしい。海外生活の長い高山は、何度か海外で危険な目にも遭遇したことがある。そして、その乗客の視線は、過去の危険を感じた時の心象によく似ていたらしい。

これらは、俺と高山の直感でしかない。外れてる可能性も、当然ある。ただ、今回はこの直感を信じることにした。

俺は理系の理屈人間で、何事にも理由を求めてしまうのだが、実は直感を大事にしている。それは『人間の直感は、過去の自分の経験から似たような事例を脳が引っ張り出して結論を出している』という研究結果があることに起因している。

・・・と、直感にも理由を求めていることに自分自身で気付くのだが。この点において、自分の過去の経験値を信じるのであれば直感を大切にするのは至極当然のことだとも思っている。

この時、俺と高山の直感は一致した。この乗客が危険人物なのか確定ではないが、注意は払っておこうと考えた。

ただ、4人部屋で同室にならなければ、それも大した問題ではなくなる。

2つ目の違和感: 同室

乗客の嫌な視線からも外れ、もう2-3両分の距離を進む。そして、ようやく俺たちの搭乗予定の車両に到着。そのまま車両に乗り込む。車両内は、車両前方(パリ方面)方向を向いて左側が通路になり、その反対の右側に客室が7室並んでいた。トイレは、更にその後方の車両に入った直ぐの所にあった。

チケットの客室番号を頼りに進むと、予約した4人部屋に行きついた。7室並ぶ客室の、ちょうど真ん中の部屋だ。

車両概要

部屋に入ると、1人だが先客が既にいた。その男はドイツ人で、俺たちと同じ行程でドイツに帰るとのこと。奇遇だね!と言う感じで握手をする。温和で友好的な雰囲気、和やかな空気が客室を包んだ。彼からは違和感は感じない。

4人部屋には2段ベッドが2つあった。その片方の2段ベッドの上下で俺と高山が使う。そして、もう一方の下をそのドイツ人が使用する。空いているのは、ドイツ人の上のベッド。ここに、どんな奴が来るのか?それとも来ないのか?来ないのであれば、パリまでゆるりと一夜を過ごせそうだ。

高山と2人、スーツから普段着に着替える。そして、2段ベッドの下に腰掛けようやく一息つけた気分になった。もう後15分程で出発の時刻。ここまで色々あったが、もうしばらくするとバルセロナから離れる。そして、なかなか4人目は現れない。

ドイツ人を交えた3人で談笑していると、列車が動き出した。もう4人目は来なさそうだな・・と思った瞬間、1人の男が現れた。

(おー、ここだ!ここだ!)

現れたのは、乗車前に嫌な視線を送ってきたあの乗客だった。高山と2人で唖然となった。

なんか、出来過ぎてないか?

以降、この乗客を乗客Aと表記する。

3つ目の違和感: ノー・プロブレム

客室に入ってくるなり、乗客Aはフレンドリーな姿勢を見せる。

乗客A『お前ら(土塔・高山)は何人だ?日本人か!そうか、ドイツに行くのか。』

乗客A 『お前(ドイツ人)は?なんだ、お前もドイツか!』

乗客A 『俺以外、みんなドイツじゃないか!お前ら全員、友達か?なんだ違うのかww』

乗客A 『俺は、フランス人だ。フランスに帰るんだ。』

そういった会話を矢継ぎ早にしてくる。

恐らく、ドイツ人も警戒していたのだろう。俺、高山、ドイツ人で醸し出しいた和やかな雰囲気は飛んで行ってしまった。客室は、乗客Aの独断場となっていた。

高山は、そんな乗客Aの様子をずっと観察しているようだ。そして、俺に対して、

高山
土塔さん、今日は寝ずに警戒した方が良いかも。仮に寝るとしても交代にした方が良いかも。

高山は、はっきりと次の危険を警戒している。

乗客Aが『パスポート強盗』であること。

パスポートは、普通の人間が知らない闇のルートで高く売れるらしい。そして、日本人のパスポートはかなりの高額で取引されると噂で聞いた事がある。

ドイツ人はEU圏内でパスポートを持っていない可能性もあるが、見た目が完全にアジア人の俺と高山は、まず間違いなく持っていると見られる。

俺たちはこの列車の乗車前に、乗客Aが鉄道会社の乗務員と話している横を通り過ぎた。その際に、嫌な視線を感じた。それは、俺たち2人に狙いを付けた視線だったのではないか?

だとしても、その人物とぴったり同室になるのは明らかにおかしい。可能性はなくはないが、計算しても恐らく数万分の1とか極小の確率になるだろう。考えれば考える程、この乗客Aとの同室は作為的なものを感じざるを得なかった。

そんな事を頭の中でぐるぐると思案し続けてた時、乗車チケットの検札が来た。その時に、僅かな希望の思考が湧いた。乗客Aのチケットが実は間違いで別の部屋でだったという可能性である。そこに期待してみた。

ただ、現れた乗務員を見てまたもや愕然となる。この乗務員は、乗車前に乗客Aと話し込んでいた人物ではないか!

ここでその姿を見た時、何とも言えない不安感に襲われた。まさか・・・とは思うが。

検札が始まる。

乗務員『(ドイツ人のチケット)OK!』

少し甲高く弾むような声だ。

そして、その後も、

乗務員『(高山のチケット)OK!』

乗務員『(土塔のチケット)OK!』

甲高い『OK!』の声が客室に鳴り響く。残すは、乗客Aのみ。

乗客Aがチケットを渡す。ここで、乗務員Aは何故か深いため息をつく。そして、

乗務員『ノー・プロブレム』

そこに、甲高く弾むような声はなかった。最初の3人が『OK!』だったのに、乗客Aは『ノー・プロブレム』だと。この差は何?深いため息は何の理由?疑念が深まる。

乗客Aが同室になったのは、もしかしてこの乗務員が仕組んだことなのか?この乗務員と乗客Aは仲間なのか?頭の中で、疑いが晴れない。本来、助けてくれるはずの乗務員にも頼れないという気持ちになってしまった。逃げ道がなくなっていく感覚があった。

4つ目の違和感: お菓子

検札が終わって30分位経過した後、『食堂車に行ってくる』ドイツ人がそう言い残し客室から去って行った。ちなみに、このドイツ人とはこれ以降、顔を合わせることはなかった。

客室に残されたのは、俺と高山と乗客Aの3人。乗客Aは、2段ベッドの上に寝転がり雑誌を読み始めた。俺と高山は、逆の2段ベッドの下でベンチ掛けのように座り話していた。

高山とは出来るだけ外来語を使わないように、会話をしていた。乗客Aの言を信用するなら、彼はフランス人。恐らく、日本語は理解できない。そう踏んでいたが、念のため、カタカナ単語も控えるようにした。

やばい状況ですよね。乗務員も多分、仲間。

かなり、やばいと思う。僕の中で過去最大級の警報音が鳴ってます・・
高山

出来るだけ普通のトーンで話そうと高山から提案されたが、高山から不安の色は隠せてない。

ここまで来ると、どう身の振り方をしようか?を考える。力づくで襲われたらどうしよう?眠ってしまったらどうしよう?まあ、眠ってしまったらどうしようもないのだが。

ここで、高山から1つアドバイスが。

高山
土塔さん、知ってると思うけど、食べ物を渡されても絶対に食べないように。

これは、俺も知っていた。所謂、睡眠薬入りの食べ物である。

フレンドリーに近づき、睡眠薬入りの食べ物を食べさせて眠らせてからパスポートを奪う。良く聞く、犯罪グループの常套手段。こういう状況下では判断が鈍るため、念のために高山が伝えてくれた。

でも、流石にこんな使い古した手法を使ってこないでしょ。インターネットが発達してこれだけ情報が行きかう中、こんな手法を使う奴なんていない。

と思った矢先、乗客Aが自分の鞄をガサゴソし出した。そして、何の脈絡もなくお菓子(チョコレートケーキ)を取り出し笑顔で、

(よう!お前ら腹減ってないか?これ食うか?)

・・・使うんかい。

大阪人の悪い所である。思わず、声に出してツッコミを入れてしまった。食うはずがない。高山が丁寧に断った。

ただ、高山は聞き逃したかもしれないが、俺は聞き逃さなかった。断わられた乗客Aは、小さく舌打ちをした。これを聞いた時、俺の中でも乗客Aがパスポート強盗であることがほぼ確定した。

5つ目の違和感: 乗客Bと乗客C

バルセロナ・サンツ駅を出発して1時間位は経過した頃だろうか。突然、俺たちの客室に乗客Aを訪ねてくる人物が現れた。この人物を乗客Bとする。

乗客Aと乗客Bはハグをし、『よう!兄弟!』と挨拶をして会話をしていた。馴れ馴れしく話していたが、どうも初対面ようだ。乗客A『俺はフランス』、乗客B『俺はセネガル』と自己紹介のようなことをしていたのは、俺でも分かった。

彼らの体躯を書く。乗客Aは恐らく175cm程度。182cmの俺より、少し小さい。ただ、がっしりした体格で力は強そう。乗客Bは身長は俺と同じくらい。ただ、体重は100kgは超えてそうな巨漢。

力づくになった場合(非武装)を想定して、乗客Aだけであれば俺と高山で抑え込めるのではないか?そんなイメージを持っていた。ただ、乗客Bの登場でそのイメージも脆くも崩れた。

会話が終わった後、2人は客室から出て行った。車両の後方、つまり客室を出て左に進んで行った。客室には、俺と高山だけが残った形になる。彼らはどういう関係性なんだろう?ただ、乗客Aがパスポート強盗とするならば、乗客Bはその仲間と想定するのが妥当。

また、警戒しないといけない項目が増えた。そう思い、横の高山に相談しようとすると高山が青ざめていた。

高山
フランス語なので会話の詳細は分からないけど、2人の会話の中で確かに『パスポート』と言う単語が出ていた

らしい。もう、これは確定だ。ウチのドイツ支店長の語学力をなめてもらっては困る。

しばらくして、乗客Aが1人で戻ってきた。乗客Bと一体、何を話してきたのか。というか、なにこんな状況にしてくれているんだ。乗客Aに対して、笑顔を作りつつ軽く睨みを効かせてみた。

(なんだ?どうした?ww)

と乗客A。俺は『いやいやww』と言って、会話を遮った。

乗客Aが客室に戻ったのと合わせて、高山と2人でトイレに行く事にした。俺1人で行こうとしたが、客室に高山と乗客Aだけにするのはまずいと思い誘った。トイレは今いる車両より後方の車両にある。先程、乗客Aと乗客Bが出て行った方向、客室から出て左方向だ。

俺と高山は貴重品だけ持って、廊下に出た。そして、そのトイレの方に進もうとすると、その先の廊下の端に乗客Bが立っていた。

乗客Bの視線

そして、こちらを見ている。乗客Bの前を通る。近づくとはっきり分かるが、間違いなくこちらを見ている。乗客Aが俺に言ったように、

(なんだ?どうした?ww)

とジャブを打ってみた。乗客B『いやいやww』と逆に俺と同じリアクションを取ってきた。高山は無言だ。

用を済ませて、また戻る。まだ、乗客Bが同じ廊下の端に居る。そして、こちらを見ているが、今度は無視して廊下に出た。部屋に戻ろうして、そして気が付いた。

乗客Bとは逆の廊下の端にも、もう1人立っていた。こいつを乗客Cとしよう。

乗客Cの身長は175cm位。そして、乗客Bよりも更にふっくらした体形の巨漢。恐らくは、こちらも100kgはあるだろう。その体形に加えて、青々とした無精ひげとロン毛の天然パーマと言う風貌が、怪しい雰囲気を際立たせていた。

そして、乗客Cもこちらを見ていた。

その視線は、乗客Aをも上回るような感じで気持ちが悪い。その視線を嫌い、振り返ってみると乗客Bもこちらを見ている。

乗客Bと乗客Cの挟み撃ち

挟み撃ちで睨みを利かされている状態。

一体、どういう状況なんだ?

恐らく人生で初めて経験する状況だと感じる。その為、似たような状況の記憶がインプットされておらず、大切にしている直感も働かない。状況が読めない。何が起こっているのか?何が行われているのか?

乗客Bと乗客Cの視線を避けるように部屋に戻る。乗客Aは2段ベッドの上で雑誌を読んでいたが、こちらに気付くと簡単な会釈を返してきた。そして、また雑誌の続きを読み始めた。

決定的な出来事。( 2004年 12月8日 23:00頃)

少し状況を整理する。

  • 乗客Aは、パスポート強盗でほぼ間違いはない。
  • 検札に来た乗務員も、乗客Aの仲間の可能性が高い。故に頼れない。
  • 乗客Aと乗客Bは、繋がっている。
  • 乗客Cもかなり怪しい人物。乗客A/乗客Bとの繋がりは不明。

あくまで推測だが、俺も高山もこの認識で間違いはない。八方塞がりの状況に思える。

バルセロナ・サンツ駅から出発して、もう3時間近く経過している。俺も高山の疲労の色も濃い。昨日の観光、今日の仕事でも移動が大変で多く歩いた。その上でのこの状況だ、仕方ない。また、海外経験の多い高山は恐らく俺よりも恐怖を感じているのだろう。

高山
あの時、僕がチケットを買い間違えてなかったら・・

後悔の言葉も口にするようになっていた。精神的にも参っていると思うが、このセリフに対しては『そうだぞ!』とつい思ってしまった。最終的には、4人部屋を受け入れた俺にも責任の一端はあるのだが。

逆に俺は恐怖心はあるものの、比較的冷静だったのかも知れない。この状況を打破する手を考えていた。

気になったのが、同室だったドイツ人の存在。彼は『食堂に行ってくる』と出て行ったっきり帰ってこない。出て行ってから2時間以上は経過している。1人の食事時間にしては、あまりにも長過ぎる。

もしかすると、ドイツ人は食堂車で一夜を過ごすのか?そこでピンときた。そして、高山に提案した。

高山さん、食堂車か一般席が空いてないか?見てきます。空いてたら、そこに移動しましょう。

食堂車や一般席は、他の多くの乗客が利用しているはず。それであれば、逆に襲われる心配もないはず。

ちょうどこの時、何故かは分からないが、乗客Aは乗客Bを連れて車両の前方に出て行ってしばらく帰ってこない状況が続いていた。それであれば、車両の後方を探しにいけばこの2人には会わないはず。

確認すると、食堂車は車両の前方にあるようだ。その為、車両前方に行った乗客Aや乗客Bに見つかる可能性があって探しに行けない。逃げ出す動きを察知されて、逆上される危険性を考慮した。その為、食堂車の確認は諦めた。

でも、車両後方であれば、一般車両の空きを確認しに行ける。見つかったとしても、トイレに行くつもりだったで通用する。

高山も、この提案に賛同した。そして俺が探している間、1人部屋に残る形の高山には、部屋に鍵を掛けるようにお願いした。この部屋に帰ってくるとすれば、俺か乗客A、そしてドイツ人の何れか。乗務員の可能性もある。

この時、既に高山は疑心暗鬼になっていてドイツ人の事も疑っていた。なので、俺以外の2人(乗務員を入れると3人)が帰ってくれば、入れ違いで高山は廊下に出るということにした。

廊下に出ると先程と同じところに乗客Cが居たが、無視して車両後方に進む。

トイレの前を通り抜けて、一般車両を探ってみる。人でごった返している。座席に空きがないどころか、通路で寝ている人までいる。その先の一般車両3両を確認したが、どこも同じような状況だ。この調子だと、この先も同じだろう。一般席への移動も諦め、引き返すことにした。

また驚いた事に、乗客Cのような怪しい人物を更に4-5人程確認していた。

日本の新幹線と同じようなつくりで、列車の昇降口付近のスペースと座席エリア(一般席)は扉で仕切らている。仕切る扉には窓があって、彼らはずっとその窓から一般席の様子を伺っている。

俺が一般席の通路を通る際、彼らの視線を遮ることになったのだが、少しでも一般席から目を離すまいと俺の体の脇を覗き込んでまで、常に中の様子を確認し続けている。

夜行列車である。待っていても、席はなかなか空くとは思えない。仮に席が空くのを待っているのだとしても、駅に到着する頃合いを見て、下車する客を確認すれば良いはずだ。ずっと中の様子を伺っているのは、明らかにおかしく思えた。

もしかして、彼らはスリの集団なのではないか?

一般席の乗客が寝静まるのを待ち、スリを行うチャンスを伺っているように見受けた。狙われているのは、俺たちだけではないように感じた。

いったい、この列車はどうなっているのだ。この時にはっきりと、

この列車に安全な場所がない。

と認識した。パリまで、この列車内のどこでどうやって過ごせばよいのだ。

そんなスリ集団(と思われる)のいる一般車両を抜け、寝台車両にたどり着く。乗客Bはまだ戻っていない。そして、一般車両の確認に行く前には居た、乗客Cの姿も消えていた。何かあったのか?と思いつつ、客室に戻る。

客室には乗客Aもおらず、高山が1人だけがベッドに座っていた。ただ、その高山の様子がおかしかった。客室の扉に鍵も掛けていない所か、開けっ放しの状態にしている。

乗客Aと乗客Bから『パスポート』という単語を聞き取った時より、顔が更に青ざめている。両腕を抱え込み、小刻みに震えているのも分かる。その姿は、俺が一般席を探しに行く前の高山より2回りくらい小さくなった印象を受けた。尋常ではない。

高山さん、何かあったんですか?

乗客Cに襲われかけた・・・
高山

この回答には、流石に俺も驚いた。

聞くと、俺が一般席の空きを探しに出てすぐ高山は部屋に鍵を掛けた。そして、そのすぐ1分後位にノックがあったらしい。この客室に用があるとすれば、俺・ドイツ人・乗客A・乗務員のいずれかのはず。高山は恐る恐る部屋の鍵を開け、誰が来たのかを確認しようとした。前述の通り、俺以外の3人なら高山は入違いで廊下に出る心つもりはしていた。

ただ、そこに立っていたのは、この客室に用はないはずの乗客C。高山にとっては、予想外の顔でかなり狼狽したようだ。しかも、乗客Cは客室に入り込もうとしたらしい。

聞いているだけで背筋が凍る。

高山は恐怖に慄きながらも、何とか周囲に聞こえる位の大声で、

高山
(トイレに行くんだ!道を空けてくれ!)

と言ってトイレに逃げ込んだとのこと。逃げるようにトイレに向かう途中、声がしたので振り向くと、そこに乗客Bが現れて乗客Cを連れて車両前方に消えて行ったとのこと。

乗客Cがこの行動に出た目的は不明。推測だが、大柄な俺(182cm)が居なくなり、小柄な高山(168cm)が1人になったのを好機と捉えたのかもしれない。

ただ、乗客Bが乗客Cを連れて行ったことで、乗客Cもグルだと分かった。恐らく、主犯格は乗客Aで乗客Bと乗客Cに俺たちの見張りをさせていたのだろう。この事実を把握し、そこには恐怖だけが残った。

高山は震えながら呟く。

高山
怖い。もう寝る事も出来ない。どうしたらいい・・・

軽くパニックになっている。手元には、列車に備え付けられていたハンガーを置いている。このハンガーは金属製で重く、武器としても機能するだろう。でも、それは本当の緊急事態に使用されるべきもので、この状況下を回避する根本的な解決にはなっていない。

本当に八方塞がりになった。この寝台車では、3人にマークされている。乗務員にも頼れない。一般席は、通路で寝る人が出る位に満席。そして、そこにはスリ集団と思われるグループも居る。逃げ道は無いように感じた。

その瞬間、今まで全く頭に浮かばなかった言葉が口から出た。

高山さん、次の駅で列車を降りましょう。

この時、俺は自分でも驚くほど冷静になっていた。

逃亡劇の開始( 2004年 12月9日 0:00)

自分自身もかなり追い詰められているのが分かる。心臓の鼓動は早い。でも、取るべき行動を頭の中で順序立てている。下車する判断に高山は驚き戸惑っていたが、構わず高山に次の行動の指示をしている。

直ぐに荷物をまとめましょう。最悪、財布とパスポートだけ持ってれば後は何となる。

口を動かしながら、手も動かす。そして、一番動いているのは頭の回転だった。

よくよく考えれば、今は好機である。乗客A、乗客B、乗客Cはこの車両にはいないのだ。

高山の話した内容を総合すれば、皆、車両前方に移動をしているはず。であれば、車両後方には移動できる。現に、俺が車両後方の一般車両の確認から戻ってきた際、乗客A、乗客B、乗客Cの誰ともすれ違わなかった。

そして車両後方、もっと言えば車両の最後尾まで逃げてしまえば、仮に向こうが異変に気付いてこちらを探し始めたとしても、見つかるまでに時間は稼げる。その間に駅に付けば、逃げ切れる。

車両後方で見かけたスリ集団は、眠いっている一般席の客にしか興味はないはず。起きていて移動している客には、手出しはしないであろう。

荷物をまとめながら手短に、一般席が満席だった事、スリ集団らしきグループもいたことを高山に告げる。だから、この列車に安息できる場所はなく、この状況を回避するのは降りるしかないと説得した。

高山
確かに、下車するのがいいかも・・?

少し高山の顔にも希望が伺えた。パニックの兆候があったので心配したが、これなら移動できるだろう。

下車する判断をしてから1分もしない内に荷物をまとめ、廊下にでる。乗客Bも乗客Cも、まだ戻っていない。俺が先頭を歩き、高山を引っ張るようなイメージで足早に後方車両に移動した。そして、そのままどんどん後方の車両に移動していく。

思っていた通り、スリ集団もこちらには全く興味を示していない。通路で寝ている客が邪魔で仕方がなかったが、愚痴を言っている暇もない。

先に確認した3車両以上を進み、ここからは俺も未知の車両になる。でも、これまで見ていた3車両と様子は変わらない。また、新たなスリ集団の一員らしい人物も見かけたが、気にせずに突き進む。

ただ、その瞬間だった。

うおぉ!!

そこに壁がなければ確実にしりもちを付いていただろう。俺は反射的に声を上げ仰け反り、壁にぶつかってしまった。

何故なら、そこには一目でわかる異様な人物が立っていたからだ。

恐らくスリ集団の一員、一般席の客席をじっと見ていた。初老と言った所の年齢の男、身長は170cm位で小柄。そこまでであれば、これまで見てきたスリ集団の一員と変わりない。

ただ、明らかに異様だと感じたのは、その男は

完全に瞳孔が開いており、口から泡を吹いていて、12月だというのに裸足で立っていた。

また、身動きがほとんどない。キセルを吸っていたが、その動作も僅かなものだ。

そして、嗅いだことのないような匂いを辺りに充満させていた。直感的に、その男がキセルで吸っているのは何かしらの『クスリ』なのだろうと思った。クスリの常習者、だから瞳孔が開き、口から泡を吹いているのだと。

そのあまりに異様な立ち姿に、前述だが、俺は声を上げ仰け反って壁にぶつかった。恥ずかしながら、かなりのオーバーアクションになってしまった。182cmのオーバーアクションである。

普通の人間であれば、そばでそのようなオーバーアクションをされれば、少しは反応するであろう。ただ、その男はピクリとも反応しなかった。そこに、更なる恐怖を感じた。

この男を一言で言うなら、

 廃人 

という事になる。生きている人間に対して、初めて使う形容だ。ほとんど動かなくて瞳孔が開いているせいか、生気をまるで感じない。立っていること、僅かだがキセルを吸う動作をしていること、それ以外にこの男が生きている証明をするのは難しいと感じた。

スリ集団を目撃して以来、繰り返しているが、

本当に、何なんだこの列車は。どうなっているんだ。

この廃人の男を見て、更に強く思った。慄きながらも、さらに後方に進まなくてはいけない。廃人の男を通り過ぎ、1車両向こうに移動したところが列車の最後尾だった。ようやく、たどり着いた。

不幸中の幸いだったのが、最後尾にたどり着いて5分後ぐらいに駅に到着したことだ。到着後、即ホームに降りた。

下車後、高山は緊張から少し開放されたようだ。反対に俺は、廃人の男を見て以来、恐怖心に脳を支配されている。ただ、その上で頭は起こりうる可能性をピックアップし続けていて、一番安全な策を取ろうとしている。高山はその場から早く離れたかったようだが、

列車の窓から見つかるかも知れない。列車が出るまで、隠れていましょう。

下車してすぐ目の前にあった柱に姿を隠した。

土地勘のない場所である。また、深夜という事もあり周囲には人っ子一人いなくて、閑散としている。そんな状況下で、仮に見つかって乗客Aらも下車した場合、それこそ暴力に訴えられるかも知れない。

こう言ったリスクが次から次へと頭の中に浮かんでくる。今思うと、恐怖に支配された脳が暴走していたのだろう。

自分自身、かなり怯えている自覚はあった。大げさではなく、命懸けで身を隠した。腕時計を見ると、0:00を回り日付が変わっているところだった。だが、なかなか列車は出発しない。その間ずっと、

誰も列車から降りてこないでくれ!

と願い続けていた。

その場で、恐らく15分位待っただろうか、ようやく列車が動き出した。この瞬間、列車の恐怖からは解放された。

次のページへ >

-サッカー系コラム
-, , , , ,