サッカー系コラム

【備忘録】2004年バルセロナ:脱出劇!恐怖の寝台列車。【海外旅行のリスク】

セレッソ系ブログでありながら、前回記事で僕自身が2004年にドイツに滞在した際の備忘録を書きました。

シーズン中に書く試合レビュー記事は、だいたい5000~7000文字位なのですが(それ位に収めるようにしてます)、その備忘録記事においては22000文字越え!自分自身が楽しくなり過ぎて、読み手をほぼ考えずに書きつらねた結果です(苦笑)読んで頂いた方、本当に有難うございます&すみません(苦笑)そんな自己満足の記事でしたが、多くのいいね・リツイートして頂いて、大変うれしく思っています。

そんなドイツ記事でしたが、そこに小ネタ集でバルセロナを訪れたことも含めました。その中で『ここでも本当に色々ありました。また、何かの機会で書けたら良いなと思います。』と書きました。なんと、そこに反応してくれましたフォロワーさんが居られました。その為、今回バルセロナネタを書いてみようと思います。

ドイツ体験談のスピン・オフという所でしょうか(笑)零細ブログのくせに、カッコよく書き過ぎですねw 

バルセロナ編:『海外旅行の際に気を付けて欲しい』という思いを込めて。

最初に簡単に、このバルセロナ編の趣旨を書いておきます。旅行記というものではないです(少し入れてますが)。

実は、バルセロナ滞在中に、

下手をすれば死んでたかも!?

というような事件に巻き込まれたのです。結果を言うと無事でしたので、正確には『巻き込まれたかけた』という所になるかも知れませんが、本当に命からがら逃げられた・・・と言うのが噓偽らざる気持ちです。

巻き込まれかけた事件というのは海外旅行ではよく知られるリスクでもあるのですが、実際に目の当たりにすると、とんでもなく恐ろしかったです。この記事を読んで頂く方へ、

海外旅行はこんなリスクがあるから気をつけて!

と注意喚起する意味を込めて書いて行こうと思います。

また、あくまでセレッソ・サッカー系のブログですので、その辺を交えて面白おかしく脚色して書こうと思いますが、

ここに書いている出来事は、ほぼ全てが事実

です。18年前の出来事で記憶が曖昧な所もあり『ほぼ』と入れてますが、9割以上は僕自身が体験したそのままになります。

そして、もう1つ。『実はこんな事があったんです!注意してくださいね!』と書くだけで済む話なのですが、それだと書いてて面白くないw 僕自身も初めての試みですが、大好きなミステリー小説っぽく書いてみようと思います。仮に、僕が小説家デビューするようなことがあれば、これが処女作になります(笑)

まあ、別に小説家になりたくてチャレンジする訳でもないのですが、書く側としても楽しく書いていこうと思います。逆に、読んで頂く方に楽しく読んで頂ければ。

先に書いておきます。今回もめちゃくちゃ長いです(苦笑)その為、途中から読み直せるように、各ページの頭に目次を付けておきますので必要に応じて活用ください。

それでは、どうぞ!

目次

■1ページ目

■2ページ目

■3ページ目

プロローグ(2004年12月9日 20:30)

(当機は間もなく、フランクフルト空港に着陸します。シートベルトをしてお待ちください。)

機内アナウンスが流れる。ドイツ語なのかスペイン語なのかは分からないが、恐らくはそう言っているのだろう。この機内アナウンスで意識が戻る感覚があった。

どうやら、眠っていたようだ。腕時計を見ると、20:30。バルセロナ空港からフランクフルト空港まで、およそ2時間半のフライトだが、そのほとんどの時間で眠ってしまっていたようだ。

無理もない。ちょうど昨日の今頃の時間、バルセロナ発の寝台列車であのような出来事に巻き込まれたのだ。精神的にも肉体的にも疲れ果ててしまった。今こうして、空調の効いた機内で夢うつつな状態で座っている事すら奇跡にも思える。

ドイツに帰ってこれた!

思わず声に出る。それほど、安堵している自分がいる。

高山
そうですね、土塔さん。本当に良かった!

横に座る高山が反応する。高山も同じく、機内アナウンスで目が覚めたようだ。

そうだ、俺たちはドイツに帰ってこれたのだ。そう思うと、2人で自然に笑顔にもなる。左手の窓をのぞく。眼下には、フランクフルトの夜景が広がる。綺麗だ。そして、大きい。この景色、二度と忘れることはないだろう。

座席上のシートベルト着用のライトが点灯し、飛行機は着陸体勢に入った。ドイツまでは、もうすぐそこだ。

バルセロナからのメール(2004年11月中頃)

9月末に日本を発ち、ドイツ支店に赴任してから早2ヶ月。すっかりドイツが好きになっている俺がいる。ドイツ語は話せないものの、ドイツでの生活は俺を成長させた。

また、無類のサッカー好きが功を奏し、ドイツでのサッカー観戦ライフを満喫できている。今ではサッカー遠征にも1人で行くようにもなった。ポルシェやベンツのミュージアムがあるシュツットガルトには先週に行ったが、大変お気に入りの街だった。

ドイツ支店には、俺の他に支店長の高山(仮名)がいる。年齢は、俺の6歳年上の33歳。ただ、俺が先に入社したこともあり、俺から見て年上の後輩という間柄になる。その為、お互いを『さん』付けで呼び合う。

高山は某外国語大学でドイツ語を専攻、ドイツ語をマスターしており英語も日常会話程度は話せる。学生時代の留学も含めて、海外生活の経験も豊富。その経験値を買われ、中途入社で即ドイツ支店長に抜擢された。

また、偶然だったが、日本にいる俺の妻の高校の先輩にあたる。共通の友人を通して、高山と妻はお互いを知る存在だったのだ。その事実が分かってから高山の高校時代の話を妻から聞くことも多く、俺も高山に親近感を持っている。気のおける人物とも言える。

そんな高山は、俺のドイツでの生活面で色々とアドバイスをしてくれる。ドイツで生活するのに、必要最低限の言葉と知識を教えてくれた。この異国の地にも関わらず、俺がサッカー遠征に1人で行けるようになったのも彼のお陰だ。

俺と高山が勤務しているこのドイツ支店は、2004年8月にドイツの南部都市:フライブルクに立ち上がった。スタートアップメンバーは高山の他に数人居たが、ドイツ支店長として常駐する高山以外のメンバーは9月初頭に全員帰国。入れ違いで3ヶ月間の期間限定ではあるが、俺がドイツ支店の技術営業を担当することになった。

今は高山と2人で、次のフェーズに入ったドイツ支店を切り盛りしている。幸運も重なったが、ドイツ支店初の売上も2人で上げた。

そんなある日、11月中頃に1本のメールがドイツ支店に届く。バルセロナの会社からだ。

(あなた方の商品に興味がある。来社して紹介してくれないか?)

俺が所属する会社は、ソフトウェア会社。ベンチャー企業と呼ばれる会社になる。社員数は25名程度と少数だが、取り扱うそのジャンルにおいては日本ではパイオニア的存在。業界シェアは50%を超え、当時、OS独占状態のWindowsを引き合いに『〇〇業界のマイクロソフト』と呼ぶ人もいた。

そのような意欲的な日本のベンチャー企業が、ドイツに支店を出す。このニュースはドイツ国内のメジャーな業界新聞にも写真付きで取り上げられ、ヨーロッパでもそこそこ話題になったようだ。ドイツ国内はもとより、ドイツの近隣諸国からの問い合わせも多く届いていた。

届いた問い合わせの多くは興味程度のものだったが、今回のバルセロナの会社から届いたメールはかなり具体的な内容になっていた。日本の本社にいる上司と内容を協議した結果、商談に繋がる可能性が高いと判断。こちらは、ドイツではまだ駆け出しの存在。クライアントの要望に沿い、バルセロナに伺う事にした。

日程は、12月8日の水曜日に決まった。余談だが、その週末の12月11日の土曜日には、バルセロナvsバレンシアというリーガエスパニョーラにおいても強豪同士の対決が、バルセロナのホーム:カンプノウで行わることになっていた。

後泊しての観戦することを狙い、何とか12月10日の金曜日の夕方にならないか?と日程調整を粘りに粘ったが覆らなかった。バルサ、強いては世界最高の選手のブラジル代表:ロナウジーニョを見られる最大のチャンスを逃した。

そして、日程が決まった翌日、移動手段となる列車のチケットを購入する為に、フライブルク中央駅へ2人で向かう。

フライブルク中央駅

実は、このチケット購入が今回のトラブルを引き起こす事になる。そんな事はつゆ知らず、

バルセロナで、何しよっかな??

仕事以外の事に目を向けている俺がいた。暢気なものだ。

チケットの購入間違い(2004年11月末)

ドイツ支店のあるフライブルクからバルセロナまで行くのには、一般的には飛行機(フランクフルト空港経由)が多いようだ。だが、本社からは『できるだけ、安価で』との命令があり、寝台列車を利用することになった。ドイツ支店を立ち上げ、〇〇業界のマイクロソフトと外面は良いが内情はケチな会社である。

フライブルクの主要駅、フライブルク中央駅の窓口でもバルセロナまでのチケットが買える。国から国への移動なのに、日本で言うと県をまたぐ程度の感覚で移動ができる。地続きの国境を有する国々であるのに、EUという考え方は素晴らしい。

12月8日の商談に合わせて、以下の予定を組んだ。

  • 12月6日(月) 夜:フライブルク発(寝台列車泊)
  • 12月7日(火) 終日:移動日(バルセロナ泊)
  • 12月8日(水) 昼:商談(バルセロナ郊外) 夜:バルセロナ発(寝台列車泊)
  • 12月9日(木) 終日:移動日(フライブルク着予定)

12月7日(火)の移動日は、高山が無理やり捻じ込んだもの。12月7日出発でも可能な日程だが、それだと前泊と後泊の連続で寝台列車移動になってしまう。それは流石にきつい。

だから、寝台列車で行くなら、一日移動日を設けさせてくれと。これでも飛行機移動より安いらしく、会社もしぶしぶ了承。逆に、俺と高山はこの日に観光が出来るとほくそ笑んだ。こうして、たった1つの商談に対して3泊4日を使う贅沢な出張が実現することになった。

この行程を実現させるために、フライブル駅の窓口でどのような列車があるか?を聞いた所、往路と復路で違う道順を紹介された。

  • 往路: フライブルク → バーゼル →(寝台列車)→ バルセロナ
  • 復路: バルセロナ →(寝台列車)→ パリ → フランクフルト → フライブルク

日本のように、平日は毎日同じダイヤを組まれている訳ではないようだ。故に、往路/復路で道順が変わってしまう。

往路は、バーゼルでの1度の乗り換えだけでとても楽な行程。復路は乗り換えが多くなるものの、フランスのパリを経由することになる。日が違えば往路と同じバーゼル経由の行程も可能だったが、12月8日の俺たちのスケジュールを考えると、乗車可能な列車はこれしかなかった。

ただ、パリに到着するのは最終日で移動日の為、数時間はパリ観光も行えることになる。ここでも俺は、

パリにも行けるやん!ラッキー!!

と暢気に考えていた。そして、紹介されたまま、この往路と復路でそれぞれチケットを買う事にした。

寝台列車では、一般席か2人部屋または4人部屋の個室を選択することになる。ケチな会社だが流石に個室はOKが出ていたので、個室を選ぶことにした。

往路のバーゼルからバルセロナへ向かう寝台列車は、既に2人部屋しか空いておらず2人部屋で確定。そして、復路になるバルセロナからパリに向かう寝台列車は、2人部屋も4人部屋も空いているとのこと。

(2人部屋と4人部屋、どちらにしますか?)

と聞かれ、

高山
(安い方でお願いします)

と回答。ケチな会社の言われた通りの回答をしてしまった・・・と言うより、高山自身がどケ・・・倹約家であり、思わずそう回答したように見えた。

安い方は、当然だが4人部屋になってしまう。2人部屋だと俺と高山で部屋が埋まるが、4人部屋だと後2人も知らない人と共に過ごさないといけなくなる可能性がある。俺の中で少し違和感を感じ、

高山さん、2人部屋の方が良いんちゃいます?

あ、間違えた。・・・ま、いいか。
高山

何故か、自己完結されてしまった。

海外での生活が長い高山が言うには、知らない外国人と同室になることも意外と面白いらしい。高山自身が過去にそういう経験があって、それも良いものだよと教えてくれた。

多少の違和感もあったが、俺自身もドイツで経験を積んで自信も湧いてきた頃だったので『確かにそうかも知れない』と思い直し受け入れることにした。

ただ、これが間違いだったのは、言うまでもない。後々、この時にチケットを買い直さなかった事を2人とも後悔することになる。

そして、ちょうどこの頃だが、俺が愛してやまないサッカーチーム:セレッソ大阪から大久保嘉人のマジョルカ移籍の発表があった。

往路(2004年 12月6日):バーゼルで日本を思う。

ドイツ支店のあるフライブルクには、SCフライブルクというサッカーチームがある。サッカー好きな俺はフライブルクに滞在した縁もあって、SCフライブルクを応援し始めていた。

バルセロナへの出張直前の土曜日にも、スタジアムに応援に行ったが、ブレーメンに0-6と言う敗北を喫してしまった。

0-6 の大敗

この1ヶ月前の10月に遠く離れた日本で、セレッソ大阪もお隣のライバルチームに1-7の大敗。ドイツ支店のオフィスで、セレッソ公式サイトを確認して愕然となった。だから、フライブルクサポーターの気持ちはよく分かる。ここは、切り替えて欲しい・・・そう願いながら週が明け、バルセロナ出張の当日12月6日を迎えた。

フライブルク出発時間が17時頃。それに合わせて、フライブルク中央駅に集合。ドイツは電車の遅延が多いが、この日は遅延もなく予定通りに出発。まずはバーゼルに向かうが、30分程度で着いた。フライブルクは、スイス国境とも近い。

バーゼル駅

バーゼルで乗り換えの際、夕食となるサンドイッチを購入。高山はサンドイッチの他、好物のみかんを購入していた。出張の多い仕事だったが、こういう旅行気分を味わえるのは役得とも言える。

2人部屋と言えど寝台は狭く182cmある俺は窮屈な寝方を強いられるのだが、それもまた楽しい。そんな気分だった。初めて海外の寝台列車に乗り、帰りの4人部屋はどんな感じなのか?相部屋になる人はどんな人か?少し不安も過ったが、楽しさが勝っていた。

バーゼル駅を出発して直ぐ、車掌が現れた。パスポートコントロールで、パスポートを預ける必要があるとのこと。EU加盟国内の移動はパスポートが不要なのだが、EU非加盟のスイスは別とのこと。近々、それも不要になるみたいだったが、2004年の今は必要だった。

車掌にパスポートを預ける。バルセロナ到着の直前に返してもらえるらしい。パスポートを肌身離さず2ヶ月過ごしていたので、手放すことに少し不安があったが、海外経験のある高山が不安がってる様子はない。それを見て少し安心をした。

サンドイッチをほうばりながら、バーゼルの夜景を楽しもうと車窓を見る。ただ、真っ暗だ。恐らく、街灯のない山や森の中を走っているのだろう。真っ暗な車窓を見ながら、少し日本の事を思い出す。

去年の今頃は、南津守でサッカーを見てたな。トップチームのリーグ戦が終わり、Jリーグ・ユースカップの予選リーグが始まっていた。我がセレッソのユースチームも当然エントリーしている訳だが、4歳からセレッソの下部組織で育ち、全ての年代の日本代表に選ばれるような超有望株がメンバーに入ったらしい。その選手は、中学2年生。中2にして高校年代のユースカップに出場するかも?とのことで、友達から誘われたのだ。

試合を見に行くと、スタメンには居なかったがサブにその選手の名前があった。練習の様子を見るとそこはまだ中学2年生、小柄でまだまだ体が出来てない。相手には、プロ内定の体が出来上がっている高校3年生もいると言うのに大丈夫か?と感じていた。

試合は3-0位で勝っていたと思うが、その試合終盤にその有望株は出場。出場時間も短くボールを持つ回数も少なかったが、ボールを持つとワクワクさせられた。これが中学生なのか!と驚かされた。高校生のDF相手に、1タッチのトラップでひらりとかわしたシーンを鮮明に覚えている。

これは、大物になる予感がある。スター性も感じる。試合を見た時、そう思ったのは間違いない。モリシとアキの2枚看板を押しのけて、エースに上り詰めた大久保嘉人が先月にマジョルカに移籍。セレッソを巣立った。その大久保嘉人の後継者は、この中学生しかいない!そう思わせる1プレーだった。

今、彼は中学3年生か。高校卒業してセレッソのトップチームにあがるまで、後3年もあるのか。大久保嘉人が抜けた今、卒業を待たずともトップに上げてしまえないものか。

そんな風に考えていると、

高山
みかん、どうですか?

そんな高山からの声掛けで、我に戻った。どうやら、物思いにふけていたようだ。なぜ今、セレッソの中学生のことを思い出したか?は定かではない。でも、10年後辺り、彼が23~24歳とサッカー選手として脂がのりそうな2013年~2014年辺りは楽しみだな?と、そのセレッソ下部組織の中学生の事を思うバーゼルの夜だった。

寝て夜が明ければ、バルセロナ。大久保嘉人より先にバルセロナの地に降り立ち、仕事をすることになる。やはり、セレッソ関連の事を頭に思い浮かべながら、狭い寝台で横になった。

バルセロナ(2004年12月7日)

部屋の扉がノックされた音で朝目覚める。扉を開けると車掌がいて、スイスの入出国印のついたパスポートが返却された。既に列車はスペインに入っているようだ。もう1時間程で、バルセロナに到着するらしい。

身支度をし、下車する準備を整える。今日は、高山のお陰で移動日と言う名の休息日。観光以外にすることがない。給料を貰いながら海外で観光ができる、こんな優越感にはなかなか浸れない。

バルセロナのターミナルの駅として機能する、バルセロナ・サンツ駅に到着した。新婚旅行で行ったニュージーランド、滞在中のドイツ、昨日今日で通り過ぎただけのスイスとフランスを含めれば5か国目の入国になる。全て、今年2004年での出来事だ。ニュージーランドで初めて日本国外に出てからは、なかなかのハイペースだと思う。

バルセロナ・サンツ駅で、コインロッカーを探す。見つけたコインロッカーは、セキュリティが凄かった。2001年の世界同時多発テロをきっかけに、世界のあちこちで無差別テロが多発している。スペインでも、この半年ほど前にコインロッカー内の荷物が爆発するというテロがあったらしい。

その影響でか、主要駅のバルセロナ・サンツ駅ではコインロッカーに荷物を預けるのに、空港の荷物チェックと同レベルのセキュリティーチェックがあった。島国:日本が、以下に平和で安全なのかというのを感じる一幕だった。

そんな厳重なコインロッカーに荷物を預ける。当然、危険物は何もないので素通りだ。荷物を預けた後、俺と高山は街に繰り出した。

バルセロナの街は、どちらかというと港町なイメージ。フライブルクにはない魚介系の市場があり、寿司屋の息子で市場にもよく連れられた俺にとっては懐かしい気持ちにもなる。

バルセロナの街並み
魚介系の市場

そして、何故かこんなものも発見。

フライブルク

フライブルクと言うの名のお店。ドイツ料理でも出すのだろうか。冗談で、ここで昼食をとろうか?と高山に言うも拒否されてしまった。それはそうだろう。

そして、バルセロナに来れば外すことのできないのが、サグラダファミリア。そして、海外サッカーファンならお馴染みカンプノウ。

サグラダファミリア
カンプノウ

試合はやっていなかったが、スタジアムには来場できた。良い記念になる。そして、ロナウジーニョとも肩を組んで写真を撮った。

ロナウジーニョとの2ショット

CGだが。これも楽しい思い出、良い記念になる。

仕事だと忘れる位にバルセロナの街を堪能した後、バルセロナ・サンツ駅に戻り、厳重なセキュリティーのコインロッカーから荷物を出して、ホテルへ。チェックインを済ませた後、夕食へ。お目当ては、パエリア。ホテルの近くのレストランに入り注文。

パエリア

どう食べようか?と高山と2人で悩んでいたところ、横の席に座っていた若いスペイン人の女性が、

(へーい!混ぜろ!混ぜろ!)

とジェスチャーを交えて煽ってくる。アジア人2人が食べ慣れてないパエリアを眺めていて、気を使ってくれたのであろう。親切だ。そして、とても陽気だ。

ここまで1日しか経ってないが、スペイン人は本当に陽気な人が多い印象で、その時その時を楽しんでいる空気を感じる。ドイツとは違う心地よさがある。

そんな楽しい1日を終え、ホテルに。明けると、いよいよ運命の1日を迎えることになるのだが、まずは仕事からだ。

バルセロナ郊外( 2004年 12月8日)

バルセロナ・サンツ駅から5駅位行った所に、今回のクライアントのオフィスがあるという。昼からの打ち合わせだったので、午前中はゆっくりして昼を食べてから移動。

ここで、海外の人の働き方を思い知ることになる。俺と高山はクライアントに失礼のないようにスーツを着込んでいた。そんな姿で到着したオフィスの目の前がこれ。

目の前がヨットハーバー
近くに海水浴場

クライアントのオフィスをそのまま撮影した訳ではないが、その周辺はこのような感じ。

海の家ライクなオフィス

日本で言う所の海の家だ。1997年に流行ったドラマ『ビーチボーイズ』を彷彿させるようなロケーションである。あのドラマは主演の反町隆史もそうだが、民宿:ダイヤモンドヘッドの経営者を演じた毎熊・・・いや、マイク眞木がいい演技をしていた。

話を元に戻すが、クライアントの海の家オフィスのシャッターは閉まっていた。約束の時間は13時。その10分前にノックをするも反応はない。ちょうど13時になっても変化はない。電話を掛けると、シャッターの向こうで電話が鳴るものの取られる気配もない。それは30分経っても、1時間経っても変わらない。

更に1時間経過して、現在の時刻は15時ちょうど。スーツ姿のアジア人2人が、バルセロナの海辺で2時間も待ちぼうけ。帰りの電車の時間を考えると16時30分までにはここを出たいと考えていたので、商談を1時間としてもリミットが近い。

それ以前に、連絡もなしに約束の時間を2時間も遅れるとは。後30分待って、現れなかったら引き上げよう。そう思った5分後ぐらいに、犬を引き連れた一人の男が現れ、こちらに話しかけてくる。

(あれ?商談は今日だっけ?)

どうやら、お目当てのクライアントがようやく現れたようだ。苦笑いをしつつ『そうだ!』と伝えると、海の家オフィスのシャッターを開けてくれた。

(悪い、悪い!)

言葉とは裏腹に、クライアントの表情に悪びれた様子はない。何ともあっけにとられる。スペイン人の時間の概念は、このような感じなのか。ラテン系の恐ろしいところを痛感した。

海の家オフィスに入り、時間もないので即商談に入る。日本人と違い、こちらの問題点をズバズバ指摘してきて、こちらがタジタジになることもあったが、何とかこちらの予定通りの所で話がまとまった。時間も15時50分。帰りの電車にも余裕がある。遅れたお詫びにということで、生ハムをご馳走してくれた。約束を忘れていたことに反省はしているようだ。そして、生ハムは最高に美味かった。

このクライアントはサーフィンをするらしく、それでこのような立地にオフィスを構えたとのこと。オフィスにはサーフボードも立てかけてあった。また、服装もとてもラフで明らかに海を意識している。

打ち合わせを忘れていたから私服で現れただけだったのかも知れないが、バルセロナの海辺の海の家オフィスと言うロケーションでは、スーツ姿のアジア人2人の方が明らかに異質に映るだろう。

スペイン人の働き方と日本人の働き方の違い。スペイン人は、趣味と仕事の両立を上手くこなしているように感じた。それも、ラテン系らしく明るく楽しく。それ故に、海の家オフィスという形だったのだろう。

日本には公私混同と言う言葉があるが、このスペインではそのような捉え方はされないのではないか。想像の域だが、羨ましい限りである。

生ハムを食べ終え、今後のスケジュールを確認した。今後、ひとまずはメールか電話で連絡を取り合うことになった。

この旅の一番の目的(という事にしておく)であった仕事を終え、バルセロナからもいよいよ離れることになる。俺と高山はドイツへ戻るため、バルセロナ・サンツ駅に向かった。

バルセロナ・サンツ駅に到着後、駅で軽く夕食を済ませた。搭乗予定の寝台列車の出発時間にはまだ早いが、この日もかなりの距離を歩いていて、俺も高山も疲れていた。体を休める為、早めに寝台列車に乗り込むことにした。

俺は3週間後にはドイツを離れる為、仮に今回の商談が仕事に繋がったとしても後任の技術員に引き継ぐことになるのだろう。そう考えると、今後、仕事でバルセロナを訪れる可能性は低い。

また、プライベートだと経済的に海外旅行が手軽にできる訳でもない。また、将来、疫病で国外移動の制限が掛かるかも知れない。そう考えると、

バルセロナに来ることは今後一生ないかも知れない

という寂しさを感じてしまった。前日のサグラダファミリアやカンプノウの観光、パエリアを食べた事、今日の商談でクライアントに2時間も待たされたことも含めて、全てが良い思い出だ。

いよいよ、バルセロナから離れる。バルセロナの最後の景色になるであろうバルセロナ・サンツ駅の姿を、目に焼き付けておこう。寝台列車の乗り口に向かいながら、そんな思いがあった。

ただ・・・この寝台列車で思いもよらない事態に巻き込まれ、翌日もこのバルセロナ・サンツ駅に戻ることになる。ここで、ようやくこの記事の本題に入っていくことになる。

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