2021 セレッソ

【セレッソ】大久保嘉人 引退に寄せて

2021年11月19日、セレッソ大阪の嘉人こと、大久保嘉人の引退発表がありました。

セレッソに帰ってきて、開幕戦で復活のゴールをしてくれました。そしてそのまま、

200ゴールまでは現役でいるものだ

と思っていただけに、個人的には予想外の発表でした。同じように思った人も多かったのではないかな?と感じます。

ご家族が関東に居住していて、単身赴任の状態(3男くんを連れてきましたけど(笑))。拠点は関東のままだったので、個人的に嘉人は長くはセレッソには居ないだろうと思ってました。且、自身の通算200ゴールのために、関東チームのJ1チームへの移籍もあるのではないかな?という思いは正直な所してました。

それでも、セレッソで引退を決めてくれたことに、

最後はセレッソで

今年頭の嘉人の発言が嘘ではなかった、それだけ、今期に掛けてくれていたという事を感じ取れて嬉しくも思いました。逆に『移籍もあるかも?』という自分の思考を恥ずかしくも思いました(苦笑)

そんな所で、今回、嘉人について取り上げます。先日、同じように引退を発表しましたシャケの記事、

と同じように、時系列で嘉人も振り返ろうと思います。

ただ、21年の歴史ですので・・・以下の文章はシャケ同様、めっちゃ長いです。章題のNo.13まであります(苦笑)宜しければ、お付き合いください。

セレッソ入団前の嘉人(アビスパ福岡・国見高校時代)

冒頭の章題から、アビスパ時代??いきなり誤記??と思われた方も居られると思いますが、この表記に間違いはありません。

実は、嘉人は高校3年生の時、特別指定選手としてアビスパに行ってます。今現在は、入団決定後にその入団チームの特別指定選手にしかなれませんが、当時はこのルールはなかったんですね。

そして、アビスパ在籍時の嘉人は、面白いことにサテライトリーグ(当時の2軍リーグの位置付け)の、

セレッソ大阪戦に出場し2ゴール

を決めてます。しっかり、公式記録にも載ってます。

(2000年セレッソイヤーブックより)

僕はこの場に居ませんでしたが、伝え聞いたエピソードを書かせてもらいます。この試合を見ていたひとりのセレサポが、この試合後に嘉人にセレッソのタオルマフラーを渡し、そして嘉人も受け取ったとのことでした。それが、もしかするとセレッソ入団の遠因になったのかも知れないですね(笑)

この試合が、2000年7月。その後の国見高校時代の活躍は有名ですよね。高校3冠(インターハイ、国体、選手権。全日本ユースではなく国体なので準3冠という位置付けですかね)の偉業を達成。

ちょうど選手権前にセレッソ入団報道があり、テレビ放送のある選手権では、

こんな凄い選手が来るのか!

と、国見高校の試合を食い入るように見て興奮してた記憶があります(笑)清水サポの友達から、『大久保を取られたのは悔しい!!』と言われた記憶もありますね。

この年2000年はご存じの通り、セレッソでは最初の長居の悲劇があった年。翌年にそのリベンジを果すべく、とても大きな戦力が入ったとワクワクしましたね。

2001年の嘉人(セレッソ)

前年、モリシーアキの凸凹コンビの活躍により大躍進を遂げたセレッソでしたが、ご存じの通り、最初のJ2降格。アキが海外移籍して前線のキープ力がなくなったこと、モリシも前年にオーバートレーニング症候群(今は、うつ状態とも診断されるそうです)を患い、その明けの2001年はいまいち調子があがらない、といった所だったのかな?と思います。

そんなチーム状態の中、期待の嘉人はというと、新人離れした活躍・・・良い意味でも悪い意味でも(苦笑)先発デビュー戦でプロ初ゴールを決めるも、いきなりの退場(笑)まあ、今後の嘉人のプロ生活の象徴的なシーンだったなと思いますね。でもって、この年、怪我も多かったんですよね。U-20W杯も欠場。その能力をJに、そして、世界にアピールしきれずに終了。

この年、セレッソは本当に失意なシーズンでしたね。セレッソは、何をしても上手く行かない。そして、期待の選手が次々と怪我。嘉人も例に漏れず・・という感じでした。

OSAKA F.C.時代の嘉人グッズ

少し余談ですが、嫁の私物なのですが、入団年の嘉人のタオルマフラーが我が家にあります。先日の酒本会の飲み会にお呼ばれしまして、ちょうど嘉人の引退セレモニーのあった名古屋戦の後でしたので、話のネタにこれを持っていきました(笑)

OSAKA F.C.時代
背番号15 OKUBO

嘉人のセレッソ入団時の背番号が15番。そして、幻の『OSAKA F.C.』表記!! 商標登録の都合、当時は『CEREZO』の文字がグッズ等に使えず『OSAKA F.C.』としてたんですよね。今となっては、なかなかレアな代物なんではないでしょうか。

ちなみに、ここまで意気揚々と説明しておりますが、実はこのタオルマフラーの『OSAKA F.C.』表記に僕自身は気付いてませんでした(苦笑)酒本会の飲み会時に他の方に指摘頂いて、

ホンマや(驚)!

ってなってましたw 我ながら、アホでしたw

2002年~2003年の嘉人(セレッソ)

そして、J2降格でもセレッソに残留してくれた嘉人でしたが、翌年の2002年は大躍進。

この年、日韓W杯の開催があり、J1リーグは休止期間がありましたが、J2は関係なく開催。モリシ・アキが代表に選ばれて不在だった時期もありましたが、嘉人が大爆発して救ってくれた印象でしたね。そして、秋に開催されたアジア大会で、嘉人はオリンピック世代の代表として選出。

このアジア大会に選出されたころには、モリシ・アキを差し置いてエースとしたの風貌を漂わせていたので、

嘉人!早く、帰ってきてくれ!

と思ってました(笑)強いては、『日本、早く負けてしま・・・』これ以上は言わんときますかw

ただ、大活躍でしたが、プレースタイルが危なっかしい(苦笑)ウチの嫁が、

sai
ねずみ花火みたいwww

と嘉人のプレーを評したのですが、とにかく腕を振り回す、振り回す 、振り回す (苦笑)僕自身も、その姿から相手選手に対して、

触んな!ボケェーー!

嘉人が言ってるかのように見えてました(笑)

※実際に嘉人の口から聞いた訳ではないことはご了承くださいw

今現在の嘉人が走る際の腕の振りの大人しさが、当時と比較してして笑えます(笑)でも、それ位、パワーのある選手だったんだな~と今振り返ると思いますね。

J1復帰の2003年も、大躍進でしたね。『J2では得点取れたけどJ1では?』という心配もないことはなかったですが、どこ吹く風の16ゴール(24試合出場)。

浦和に3点先行されるも、最終的に6-4の大逆転勝利をしたのもこの年。この試合も、嘉人は2ゴールでした。当時、絶賛売り出し中だった浦和DF坪井慶介に対して、ドリブルで完全にチギって格の違いを見せつけた同点ゴールは痛快でしたね~(笑)

この年の活躍で、嘉人はセレッソの誇りになって行った印象でした。

No.1 ゴール 2003年天皇杯準決勝:鹿島戦。

ちなみにですが、個人的に過去30年以上のサッカー観戦歴があります。その長い観戦歴の中、生観戦で見たゴールの中で現時点で最高のゴールが、この年に生まれてます。

天皇杯準決勝の鹿島戦(長居スタジアム)の嘉人のゴールデンゴール!!これ、覚えてられる方も多いと思いますが、凄かったですよね(笑)

このゴール、ちょうど僕はシュートコースの対局線上の所に座っていました。そして、嘉人がドリブル開始して、他の選手(確か、久藤)がニア側に走って相手を引き付けた瞬間、嘉人のシュートコースが空いたのですよね。僕の座ってる所から、ばっちりそのシュートコースが空いたのが見えました

この瞬間、

嘉人、打てぇ!!!!!

と叫び、僕の叫び通りに既に嘉人はシュートモーションに。そして、放たれたボールの軌道は僕の見えたシュートコースそのままに進んでいきました

で、ボールがゴールに吸い込まれた瞬間、

・・・・・

なんと、僕の中で、

無音の状態

になりました(笑)天皇杯決勝進出を決めるゴールデンゴールで、当然ですが大興奮してて、めっちゃ大きい声で叫んでる実感はあったのですが、自分の耳には何も聞こえない状態でした。

推測するに、

『外から響く周りの大歓声』と『内から響く自分の叫ぶ声』がちょうど吊りあって僕の鼓膜が振動しなかった?

と思います。多分、それ位の大きな声で僕は叫んでました。

そのしばらく後、

(無音)・・・ぉぉぉおおおおお!!!!

という感じで、徐々に大歓声と自分の声が聞こえてきました(笑)

しかも、嘉人がシュートモーションに入る瞬間からこの大歓声が聞こえるまで、すべての流れがスローモーションだったんですよね。ゴールが決まる前に曽ヶ端がセービングに行ったのもはっきり見えたのですが、

(おー、曽ヶ端、諦めずに飛んだんか。でも、これは届くはずあらへんわ。残念、お疲れ~)

みたいに冷静に考えられる程(笑)自分のイメージと嘉人のシュートが、完璧に一致した本当に凄い稀な体験でした。

正直、

この体験をもう一度したくて、今もサッカー観戦を続けてる。

という所もあります。それ位、この体験は忘れられないです。

忘れられないついでに、告白しときます。この時の対戦相手は鹿島で、鹿島との契約が満了になっていた秋田豊も出場してました。鹿島最後の思い出に10冠目を取るとか意気込んでたのですが、この嘉人のゴールで鹿島での最後の時間を迎えたのですね。

そして、嘉人のゴールが決まってから僕の中で時間の流れがスローモーションから普通に戻った後、スタジアムの大型ビジョンにその秋田が映りました。その大型ビジョンに映った秋田に対して、

秋田、ざまぁぁwwww

とも叫びました(笑)当時の秋田とか本田とかの鹿島の中心選手は悪い意味でもウザかったので、こちらをさし置いて10冠取るとか言うてて、ムカついてたんですよね(苦笑)

まあ、

相手選手にもリスペクトを持てるようになった『今現在』は、こんなことは言いません

が・・・・(ホンマか?w)、当時は若かったですww

2004年の嘉人(セレッソ)

2004年、セレッソは、何故か?の東欧路線(苦笑)ラデリッチは良い選手でしたが、カブラルとか(苦笑)素人目に見ても、カブラルのバックステップは怪しかった(苦笑)

てか、

それ以上にこの年の監督が・・・・(苦笑)

ナド、ムズ、ポボとかww 立て直したコバさん、有難うww この年を経験しているので、色々耐性ついている気が個人的にします(苦笑)

そんな怪しいチームでは上手く行くはずもなく、チームは低迷。16チーム中15位。ただ、当時J1を16チームから18チームに増やす段階だったので、J2降格枠は0.5チーム。J1最下位の1チームが、J2の3位と入れ替え戦を行う・・という緩いレギュレーションに救われる形で、セレッソはJ1残留。

嘉人は順調に点を獲ってましたが、低迷するチームに引っ張られる形で目立った活躍・・・という程ではなかったですよね。

ちなみにこの年、僕は仕事で人生初の海外出張を経験。9月末~12月末の3ヶ月間を、ドイツで過ごしてます。その為、大阪ダービーの1-●の大敗wや、残留を決めた最終節の嘉人のPKとかもリアルタイムで見れてません(出国直前に、ジェフ戦の嘉人のプロ初ハットトリックは現地観戦で見ました)。

リーグ終盤の勝負所のこの時期をネットでの試合結果でしか見れず、故にこの年は個人的に印象が薄いです。ただ、翌年にマジョルカ移籍で退団が決まっていた嘉人のコメントは印象に残っています。細かい文言は覚えてないですが、

大きくなってセレッソに戻ってくる

嘉人は間違いなくこの趣旨のコメントを残しています。涙ながらに、そして力強く。

このコメントを見て、ドイツで泣いてました(笑)

2005年~2006年の嘉人(マジョルカ~セレッソ)

初の海外移籍で、マジョルカへ。デビュー戦、やっぱり印象深いですよね。

それ以上に、印象深かったのがバルセロナ戦。当時、世界最高のCBの1人、プジョル相手に股抜きで抜いたんですよね。これを見た時、

さすが、嘉人!!

とセレサポとして誇らしかった記憶があります。

ただ、怪我もあって徐々に出番が失われてきて、当時セレッソの不調もあってセレッソに復帰。セレッソに復帰した甲斐なく、チームは2度目のJ2降格。

そして、嘉人は神戸へ移籍。

神戸移籍の際、物議を醸す騒動(神戸の嘉人移籍のサプライズ発表)がありました。この騒動で嘉人を嫌ったセレサポも多かったと思いますが、個人的には、

嘉人は2002年にJ2を戦ってくれた。だから、今回の降格でもう一度、それを強要するのは忍びない。

というスタンスでした。

この年から、個人的には、

嘉人は、他所の子

と自分に暗示をかけ始めましたね(苦笑)当然、未練もありましたが(苦笑)

2007~2012年の嘉人(ヴィッセル~ヴォルフスブルク~ヴィッセル)

ヴィッセル時代の嘉人は、ちょこちょこ見てましたが、

嘉人を左MFで使うとか、この監督はアホか?

と、当時の神戸:松田浩監督の起用について、独りゴチてましたw 神戸のチーム事情なんぞ全く興味ないので、嘉人が活躍してくれることのみ願ってましたんでw

本当に、神戸での起用を見るたび、独り言ちが止まらずw

嘉人はえーヤツやから文句は言わんやろうけど、MFだと能力発揮できんやろ!FWで使ったれや!可哀想過ぎる・・・

でもって、最終的に、

結局、セレッソがJ2に落ちたのが悪いか・・・

当時、セレッソのチーム状況が最悪だったのも相まって、個人的に本当にイライラしてましたね(苦笑)

で、神戸からヴォルフスブルク移籍の際は、

おー、行け行け!!

半年で神戸に戻ってきた時は、

もう帰ってくるんかい!しかも、神戸かい!

と(笑)神戸時代の嘉人に関しては、本当に揺さぶられてましたね(苦笑)

ただ、この頃には、

セレッソで香川・乾が台頭し始めてきてた

ので、嘉人の存在も忘れるようになってきてました。もう、嘉人はいいかな?という感じでしたかね。

2010年の忘れられないテレビ放送

香川・乾のお陰で、嘉人喪失の傷はほぼ癒えていたこの頃、2010年の南アフリカW杯が開催されました。我がセレッソから、香川真司がもうちょっとの所で落選(サポートメンバーで帯同)。

矢野貴章じゃなくて、香川やろ!

ここでもゴチてましたね(苦笑)

代わりにと言う訳ではないですが、嘉人が選出。そんな中で迎えたホーム神戸戦は、ドルトムント移籍を決めた香川と、W杯メンバー入りした嘉人、双方の壮行試合となったのは今となっては思い出深いですね。

ここで、個人的に忘れられないTV放送があります。W杯選出メンバーについて、有識者が期待の選手を挙げるというテレビ番組(テレ朝のGETSPORTS。当時、確か関東限定放送)があり、2年前に引退していたモリシがその有識者として登場してました。

この時、香川が落選した今、モリシは誰を挙げるんだろう?と興味津々で見ていたのですが、

(モリシの)経験上、W杯は闘争心むき出しで戦える選手が必要。その視点で、選出メンバーで一番期待できるのは・・・大久保嘉人!!!

モリシは嘉人を挙げたのですよね。

この時、嘉人がセレッソから離れて既に3年以上が経過。香川・乾というスターも誕生して、個人的には嘉人不在を忘れていました。でも、

モリシは、嘉人の事を忘れてへんねんな。

と何故か深く胸に刻み込まれた印象がありました。

モリシがアホキャラなんで(苦笑)あまりそういう印象はないかも?ですが、いわば嘉人が最初に師弟関係を築いた選手でしたもんね。モリシが言うなら・・・僕はこのW杯ではしっかり嘉人を応援しました。嘉人は掛かり気味にホームランシュートを打ちまくって、オシムに酷評されてましたけど(笑)

2013~2016年の嘉人(川崎)

2012年シーズン終了後に神戸を退団して、川崎へ。神戸の終盤では、個人・チームともにパッとした成績を残せず、もう終わった選手の烙印を押されようとしている所でした。一説によると、神戸も解雇同然だったとか。

そんな中、どちらかというと拾われるような感じだったのではないかな?と思われる川崎移籍。

嘉人、もうだめでしょ?

川崎サポの友達もそんな感じだったのですが、その友達の問い掛けに返した言葉は、

大丈夫。FWで固定すれば、嘉人は点取れるで。

という感じの趣旨。

この時、嘉人の事はもうほぼ『他所の子』状態でしたが、それでも本当にMFに配置されてた神戸時代の不遇さは悲しかったんですね。そんな中での川崎移籍。

僕ら夫婦は横浜に住んでいたのもあって、2009ー2010年位、実はちょくちょく等々力には行ってたのですね。当時の職場も等々力から徒歩すぐの所でしたし、一番行き易いスタジアムでした。その頃の川崎は、

中村憲剛を筆頭に、上手くFWまで繋ぎよるな。

という印象を持ってました。

嘉人が移籍する少し前のイメージでしたが、中村憲剛はまだ在籍しているので恐らくそれは変わらないだろう。加えて、風間監督に代わってよりパスを繋ぐサッカーがイメージできたので、

川崎の補強、上手いな。嘉人、上手くハマるんちゃうかな?

という予感はありました。

結果は、ご存じの通り。ってか、個人的に想像の遥か上を行く爆発(笑)『嘉人は他所の子』と思いつつ、やはりこの活躍は嬉しかったですよね。

2017~2020年の嘉人(FC東京-川崎-磐田-V東京)

この頃の嘉人、ほぼ見てません。故に、よく知りません(苦笑)

ただ、セレッソ-神戸-川崎と嘉人のプレーを見ていて、嘉人は

FWに配置してボールを集めると、点を獲れる。

ボールの配給役に回ると、点は取れない。

というのが僕の中でハッキリしてました。つまり、

嘉人に『点を取る』だけに集中させる。

これが嘉人の活躍できるフィールドだと。

だから、これらのチームで輝けなかったのは、

嘉人は、ボールの配給役に回ってるんやろな。

というのは、試合を見ずとも分かった所ですね。

なんで、FC東京とかに行ったんやろ(苦笑)?そこは、少し疑問に思っていたところですね。

2021年~引退の嘉人(セレッソ復帰)

ってか、ここまで書いてくるのも長い(苦笑)磐田とかV東京とかの時代を端折ったのにw 21年のキャリアの重みをこんな所でも感じます(笑)

15年ぶりのセレッソ復帰。上の南アフリカW杯のテレビ番組の時にも挙げましたが、セレッソ首脳陣は、嘉人を忘れてなかったのだなと。

加えて、開幕直後の活躍。

正直、シーズンでトータル3点取れれば御の字だと思っていたのですが、2試合目でそのノルマをクリア(笑)

嘉人にボールを集めれば、点を取ってくれる。

こういう安心感はありましたよね。こう感じさせる存在は大きい。

クルピが開幕前に『攻撃的な選手で2人好きな選手がいる』といってましたが、恐らく1人は嘉人でしょう(もう一人は、坂元かな?)。惜しむらくは、開幕ダッシュ以降、嘉人までボールを集められない状況になってしまいました。この辺り、またシーズンの総括として別の記事で書こうと思いますが、これが惜しかったなと。

加えて、小菊体制になったのが、地味に嘉人には響いているのではないかな?とも思っています。

以前のブログで何度か書いているのですが、

上の記事でも書いた通り、

小菊セレッソのFWの役割はめちゃめちゃ多い

と思っています。それはイコール、

嘉人が『点を取る』だけに集中できる環境ではない

ということだと考えます。

小菊体制に変わってから、そのやり方を見ていて、

これは、嘉人にはハマらんな・・・(苦笑)

という感じは受けてました。これは小菊さんが悪いという意味ではなくて、嘉人にとっては運が悪かったな、という感じですかね。

サッカーは難しいな・・・と個人的に本当に考えさせられる一幕でもありました。


時系列での語りは以上ですが、後少しお付き合いを。嘉人のキャラクター的な所を触れたいです。

嘉人が『今の選手がみんな一緒で面白くない』と発言した理由。

嘉人を語る上で、重要なのがプレースタイル。若い頃は、全面にワイルドさを押し出してましたが、最後にセレッソに帰ってきた嘉人は洗練されたFWになってた印象です。

それが端的に表れているのが、最近、オフィシャルの動画で上がったこれですね。

この中で注目したいのが、相手ディフェンスを剥がす為、

常に相手ディフェンスの顔を見ている

動画の嘉人はこう語っています。これ、面白いなと。

最近のJリーグのサッカーは、ポジショナルサッカーが全盛。このポジショナルの概念は、

良い立ち位置を取って相手を剥がす事

と理解してます(このテーマも、いつか書いてみたいなと思います)。でも、嘉人は

仕組みで剥がさずとも、個人で剥がせる

のですね。個人の駆け引き・・・という所ですね。

仕組みで剥がすのか、個人で剥がすのか。

システム・戦術論、所謂、仕組みについては巷に多く出回っていて、どれが正解か?というのは正直、分かりません。ただ、昔から現在までのサッカーの流れからして、

個人で剥がすのが難しくなった』から『仕組みで剥がすように考えられた』

のがシステム・戦術論だと思うのですね。

だから、優先順位は、

  1.  個人で剥がす
  2.  仕組みで剥がす

の順だと思ってます。ただ、今の選手は『仕組みで剥がす』ありきの選手が多い。故に、嘉人の言う事が分かるな・・・と個人的に感じてます。

最近、この趣旨のブログ記事が多いのですが(苦笑)嘉人のコメントをどう捉えるか?参考にするのか?『おっさん、うるさい!』となるのか?その辺り、既存選手によく考えて欲しいなと改めて思います。

家族愛。

11月27日のホーム最終戦の引退のセレモニー、感動しましたよね。もう、奥さんが出てきた時は涙腺崩壊で(苦笑)そして、末っ子くんのオチョケで笑わせてもらって(笑)泣き笑いがあって、本当に心温まるセレモニーだったと思います。

余談ですが、2019年の藤本康太の引退の時にも感じましたが、セレッソで引退して次のステージに進む姿をサポーターとして見届けられるのは、本当に喜ばしいことだなと思います。こう言う所、セレッソの浪花節は好きです(笑)

少し話が逸れましたが、この記事の最後に嘉人を語る上で欠かせないテーマについて。それが、家族愛。

少し前に書いた記事で、

僕は、

人は、人のために動く時に力を発揮する。

と書きました。我ながら、青臭いな・・・とは思いますが(笑)そう信じてます。

そっして、嘉人ははっきりと、

家族の為

というのは分かりますよね。それはもう、分かり易過ぎる位に(笑)

引退会見でお父さんの事を聞かれて涙して、抗がん剤治療をされた奥さんの為に坊主(お子さんも)にして、大阪まで着いてきた3男の為に慣れない主夫もして。ことある毎に、家族への愛情を垣間見せてくれました。プレーの貢献度もそうですが、それ以上に家族を愛している姿が見えていたので、愛される存在だったんだろうと。

僕は嘉人より年上のオッサンですが、父親として本当に尊敬できる人だな~と思ってます。あんなカッコよい父親になりたいです(苦笑)

セレッソで何かしら関わっていて欲しい。

現時点(2021.12.14)で、引退を発表した嘉人は去就を発表していません。どう進んでいくか?は、セレサポとしては注目してしまう所ですね。

ただ、3男くんは着いてきましたが、大阪は単身赴任でしたよね。来年以降、恐らく拠点は関東になるのでしょう。

(こう言う所、所帯を持つサッカー選手のチーム選択は難しいですよね。家族の生活があるので、一概に自分のステップアップだけを考えれば良いと言う訳でもないんだろうな・・・と思います。)

ただ、せっかくセレッソでの引退を選んでくれたので、

嘉人にはセレッソに関わっていて欲しい

と思うのは正直な所。上では『他所の子』と評しておきながら(苦笑)でも、セレッソに貢献してくれた選手には情が湧きます。

Twitter でコメント頂いた中で、アンバサダー的なポジションがやはり良いんではないかな?という気はしますね。それだと、関東にいても出来るでしょうしね。


そんな所で、普段の試合レビューは要点をまとめることに注意しながら書くのですが、それをせずにダラダラと長く書いてきました(苦笑)個人的な思いの丈を余すことなく書き出すと、こんな感じになりました。ここまでお読み頂き、有難うございました。

とにかく、お疲れ様!嘉人!そして、今まで感動をありがとう!次のステージでの活躍を期待しています。

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