目次
■1ページ目
■2ページ目
■3ページ目
深夜の街:ポートボウ( 2004年 12月9日 0:30)
恐怖の寝台列車から途中下車した俺と高山。ここがどこなのか?なんという駅なのか?全く分からない状態で列車から降りた。そんな経験はおありだろうか?しかも、異国の地で。しかも、深夜で。
後で記憶を頼りに調べたが、俺と高山が途中下車したのはポートボウ(Portbou)という駅だったと思われる。駅名をはっきり見たわけではないので、あくまで推測だが。ポートボウはスペイン国内だが、フランスにほど近い国境の街だ。
列車が去った後、俺たちはそのポートボウ駅の駅舎に入る。当然、誰も居ない。そこにあったベンチに座る。とりあえず、これからどうするか?を決める。当然の結果だが、今晩はホテルを探すことになった。
この街の治安も分からないし、そもそも12月である。ヨーロッパでも比較的温暖なスペインと言えど、深夜は寒い。野宿は避けたい。
逆説的に、あの廃人の男が裸足だったことを思い出してしまう。12月なのに裸足。いったい・・・
このような感じで、ポートボウに居りてからも尚、廃人の男の陰に怯えてしまう。ことある毎に、あの顔、あの立ち姿を思い出してしまう。故に下車しても尚、警戒心が解けない。それは、列車に乗っている時と同じレベルのものだ。
恐怖心を振り払い、ポートボウの街に出る。深夜である。人の往来もほとんどなく、街の灯りも少ない。それ故に、静かで薄暗い。それが不気味さを醸し出しているように感じ、俺の警戒心は増す一方になる。そんな状態で、ホテルを探さないといけない。
逆に、高山は少し落ち着いてきたようだ。乗客Cに襲われかけた恐怖から考えると、今のこの状況はそこまでにも思わないのだろう。下車する時と違い、このポートボウでは、どちらかと言うと高山が引っ張ってホテルを探すような形になっていた。
ただ、このホテル探しが難航してしまう。
街を10分くらい歩くと、1件のホテルを見つけた。急いで、エントランスを探す。そして、愕然とする。鍵のかかったドアに、エントランスへの入場を拒まれたのである。
それでも、他に当てのない俺たちはドアを強めにノックする。誰も出てこない。しばらくノックし続けると、1人のホテルマンが現れる。鍵を開け、外に出てきた。話は聞いてくれるようだ。
高山が英語で、
と尋ねる。答えは、
No!!!!
かなり強めに言われた。しかも、高山の問いかけに食い気味での回答だった。
『部屋が空いてなくても、ロビーで寝させてもらえないか?』と高山が粘るも、聞く耳持たずで『No!』。会話はそこで終了。そのまま扉を閉められ、すぐさま鍵を掛けられた。その上で、目の前でドアの小窓のカーテンまで閉められてしまった。はっきりと、拒絶されたのだ。
ここで思い出したのが、最初にバルセロナ・サンツ駅に降りた際に見たコインロッカーのセキュリティーチェックの光景。バルセロナで半年前に爆弾テロがあり、テロに過敏になっているのだと感じた。
観光地でもないであろうポートボウに、アジア人2人が深夜に突然現れ、予約もなしに泊めさせてくれ!と言ってくる。ホテルマンが困るのも理解できた。
ホテル側の心境も理解できるとは言え、かなり困った。その後、20分位歩いたが、そこ以外にホテルらしきものは見つからなかった。野宿する羽目になるかも・・・と思った所、まだ営業中のバーを見つけた。
バーに入ろうとしたところ、中からライダースジャケットを着た男たちが多く出てきた。漫画:北斗神拳で言えば、登場後3コマ目には秘孔を突かれてやられてしまうモブキャラのような出立ち(髪型は漫画程ではなかったが)で、警戒心が残る俺は身構えた。
が、そんな身構える俺の横を、モブたちはそそくさと通り抜けていく。どうやら、帰る所のようだ。無理もない。時間は、深夜1:00になろうとしていた。
バーは、女店主が1人で切り盛りしているようだった。扉の文字を読む限り、1:30までの営業時間らしい。モブたちが居なくなった後のバーは、俺と高山とその女店主の3人になった。
バーに入る直前、店内で1晩だけ寝泊まりさせてもらうよう交渉すると高山と相談していた。ここでも交渉役は高山。
そう俺に言い残し、悠然と高山が英語で交渉する。ただ、明らかにこの女店主が困惑している。それも伝えている内容以前に、まるで会話が通じていない。どうも、女店主はフランス語しか話せなかったらしい。フランス語の話せない高山(無論、俺もだが)では話が通じない。
それでも、高山はジェスチャーを交えて何とかここで寝たい意図を伝えるも、女店主の答えは『No!!』。高山も粘るも、回答は変えてもらえず。ホテルの時と同じだ。
高山は明らかに困った顔をしていた。弱弱しい『ぷ』の2連発が響いた。先程の、
からは、およそ1分後の事だった。
交渉が決裂した後、女店主も先程のホテルマンと同じで早く出ていってくれと伝えてくる。高山も弱り果てた表情で懇願するだけになってしまっている。どうしたもんか・・・
その瞬間、ふと閃いた。
Coke、プリーズ!!
コーラを注文した。この店の客になったのだ。女店主も、怪しいアジア人でも客なら無下には出来ないだろう。想像した通り、しぶしぶだがコーラを出してくれた。
これで、閉店の1:30まで30分は稼げた。その間に、次の対策を練ることができる。我ながら、うまく機転を利かせられたと感じた。
数ユーロを払い、出されたコーラを飲みながら高山と相談する。一息付ける時間ではあったが、状況は変わってない。宿は見つかってない。
ただ、俺は女店主はお願いすれば協力してくれるような気がしていた。コーラを注文したのはバーで少し考える時間が欲しい為・・・・と言うこちらの意図を理解してくれたような気がしていた。法外な金額を言うでもなく、早く店から追い出したいと注文を突っぱねるようなこともしなかった。
そう考えるとポートボウの駅を降りてから、唯一、警戒心を出さなくても良かったのがこの女店主だったとも言える。地元民であろうし、この辺の事は詳しいはず。俺と高山にとっては未知の地で、今、協力者になってくれるのは彼女しかいない。そう思った。
最初、ホテルを紹介して欲しいとお願いしようと考えたが、30分近く周辺を歩いて1件しか見つからなかった。紹介されるホテルは更に遠くなるだろう。地元民でもないので、辿り着ける気がしない。しかも、先程のホテルと同じで泊まれる保証もない。
それなら・・・と、ここでもまた閃いた。女店主に、
コール、タクシー。プリーズ!
正しい英語かどうかは分からないが、女店主には通じた。タクシーを呼んでもらう事にした。そして、泊まれるホテルまで連れて行ってもらうのだ。
バーでずっと高山と話し合っている姿を見ていたせいか、女店主も『このアジア人は何かしらの理由で宿がなくて困っている』と理解してくれていたようだ。予想通り、協力的になってくれて直ぐに電話を掛けてくれた。
15分後位にタクシーは到着。日本で言うと軽自動車のようなタクシーだった。
ラッキーだったのが、このタクシーの運転手が英語が話せた事だ。これだと、高山がコミュニケーションを取れる。高山に、以下の条件で交渉してもらった。
- 必ず宿泊できる宿に行って欲しい。
- 駅が近いこと。そこからバルセロナに行きたい。
- 出来れば安価で。
ここでも驚いた事に、翌朝の移動(バルセロナに戻るか?は決めかねていたが)のことを考え、駅が近い条件を入れることが出来た。
極限状態だと、どうも頭の回転が洗練されるようにも感じた。最後の安価の条件は、高山のチケットの買い間違いの件があったので、少し躊躇したのだが。
出発前、女店主がタクシーの運転手と何かしら相談していた。時間にして2-3分。そこそこ長い。2人は面識があるのかな?と感じたが、フランス語なので話す内容は分からない。
2人の会話が終わった後、いよいよ出発である。乗車前、女店主がこちらの様子を見ているのが分かったので、
グラシアス!!
と叫んだ。女店主から笑みが出た。ポートボウで初めて見る、こちらに向けられた笑顔だった。でも、本当は『メルシーボクー!』の方が良かったかもしれない。
タクシー乗車( 2004年 12月9日 1:30 )
出発後、最初はヨーロッパ特有の石畳を走行しガタガタと揺れた。その後、アスファルト舗装の道に出た。深夜なので渋滞はない。日本の感覚で言うと、5分、10分でホテルには到着してくれるものと思っていた。
ただ、10分を過ぎてもホテルにはつかない。それ所か、タクシーはどんどん山道に入っていく。人気もないし、車の往来もない。このタクシー1台だけが山道を進んでいる。ここでまた、俺の警戒心が顔を出す。
山奥で銃口を向けられたりしないか?
そんな思考が出て、狭い車中でずっと身構えてしまっていた。高山は安心しきった顔をしていたが、俺の警戒心はそれを許してくれなかった。銃口を向けられた時のシミュレーションを頭の中でしてしまっていた。
タクシー内ではラジオが流れていて、運転手は鼻歌混じりだった。それさえも不気味に感じる。この運転手は、犯罪を楽しむような人間なのか?山の頂上付近に来たのか、山の麓に街の灯りも見える。かなり遠くまで来てしまったようだ。その後、タクシーは坂を下りだす。そして、下りきったところに街が現れた。
ポートボウから出て、凡そ30分位は経ったのだろうか。タクシーは、また揺れの大きい石畳を進む。そして、4階建て位の建物の前にタクシーが止まった。その建物に、ホテルの看板は出ていない。
どこだ?ここは?ホテルとは書いてないじゃないか。
また、不安と警戒心が顔を出す。
タクシーの運転手が、
(車の中で待っとけ)
と言い残し、その建物に入っていく。どういうことだ?仲間を呼ぶのか?不安が募ると居ても立っても居られない。タクシーの運転手の指示に従わず下車した。いつでも逃げられるようにだ。
1分後くらいに、タクシーの運転手は1人でその建物から出てきてこう言った。
(1人20ユーロだ! 良かったな!)
なんと、タクシーの運転手は、アジア人2人を泊めるように宿主に交渉してくれていたらしい。どうも宿主も英語が話せないらしく、こちらとはコミュニケーションが取れないことを察知してくれていたようだ。こちらは何もお願いしていないが、タクシーの運転手が気を利かせて仲介してくれたのだ。
或いは、ポートボウ出発前にバーの女店主がタクシーの運転手と相談していたのは、彼女が『このアジア人2人はフランス語を話せない。』とタクシーの運転手に助言してくれていたのかも知れない。そう思うと、彼女にも感謝したいと心から思った。
更に、タクシーの運転手は、
(翌朝、この道を真っ直ぐに行け。10分もすれば駅だ!それでバルセロナに行ける!)
と駅近くであることも知らせてくれた。これまた驚きで、『必ず宿泊できる』『駅近く』『格安(20ユーロ:2600円弱)』と完璧に条件を揃えた宿に連れてきてくれたのである。
『車の中で待っとけ』と言ったのも、ここが無理なら次を当たる予定だったということだろう。そう考えなおすと、完璧なホスピタリティだと感じた。
銃口だの、仲間だの。タクシーの運転手を疑った自分が恥ずかしくなった。心の中で、謝罪した。
凡そ2時間前の寝台列車で人の怖さを知り、そこから降りて、人の温かさに触れた。ジェットコースターに乗ったような気分だった。タクシー料金は35ユーロだったが、50ユーロを払い、
OK!!
15ユーロをチップとした。それでも少ないと感じた。タクシーの運転手も喜んでいた。別れ際、深夜2:00と言う時間にも関わらず、
グラシアス!!!
と大声で叫んだ。本当に幸せな気分だった。
宿での出来事( 2004年 12月9日 2:00)
宿に入ると、一人の宿主が眠そうで迷惑そうな顔、そして無言で迎えてくれた。俺と高山はそれぞれ20ユーロを支払うと、302と部屋番号の書かれた鍵を1つ渡された。俺たちには結局1言も話さず、宿主は奥に消えて行った。無理もないか。
指定された部屋番号に行くと、ベッドが2つあるだけのシンプルな部屋だった。シャワー、トイレも共同。でも、12月の寒空の下で一夜を過ごさなくても良い。それだけで十分に思えた。
高山と明日にどう動くか?を相談する。この時点で、ここがどこかも分かってない。インターネットも決められた場所でしか接続できないような時代(当然、スマホなんてない)で、情報を集められない。分かっているのは、タクシーの運転手の配慮もありバルセロナへは戻れそう、ということだけだ。
ただ、寝台列車で4時間以上は移動している。バルセロナに戻るのも一苦労だろう。翌朝に駅で路線図を見ながら、近くの大都市に行けば?など色々な可能性を探った。
ただ、土地勘がない俺たちにとっては振り出しに戻す方法がベストだろうということでまとまった。バルセロナに出れば、ここにはない移動手段の選択肢も出てくる。ここから4時間かかって振り出しのバルセロナでも、それが最短距離になると判断した。
バルセロナからどうドイツに戻るか?を考えた際、高山が、
と言う。また寝台列車を使うつもりでいるらしい。
つい先ほど、その寝台列車で死ぬ思いをした。そのことを忘れてしまったのか?俺には、もう寝台列車で帰る気力はない。
いや、飛行機で帰りましょう。バルセロナには空港もあるでしょ。
バルセロナに戻るのが決まってからは、俺の中は飛行機一択だ。飛行機なら確実に安全である。移動時間も夜行列車より短く、今の体力、気力的には至極妥当な選択だと考える。でも、高山は、
ここではっきりと言おう、高山はどケチだ。高山の良くない所だとは思っていたが、今この状況下においても、確実な安全より金を取ろうとするのが信じられなかった。頭にきて、売り言葉に買い言葉で、
なら、あなたの分も俺が出す。だから、飛行機で帰りましょう。
本当、呆れてしまう。
かなり喧嘩腰になったが、語学に優れる高山が居ないと俺もこの状況下は切り抜けない。また、会社が金を出さないとも限らないし(出させてやる!と思っていた)、高山にはドイツでの生活をフォローしてくれた恩もある。仮に俺の自腹となったとしても、高山に恩返しをすると言う所で自分を納得させた。
とにかく、今は2人で協力しないと・・・
この思考が冷静さを取り戻させてくれた。
2人ともシャワーを浴びる気にはならず、楽な服装に着替えてそれぞれのベッドに入った。高山はすぐに寝たようだ。ただ、高山との喧嘩で気が立ってたのかも知れないが、俺は疲れているのに眠れなかった。
眠れない中で、寝台列車の事を思い出す。この選択は正しかったのか?逆に、あのまま乗り続けていた場合、どうなっていたのだろう?今頃、パスポートを奪われ、病院のベッドで寝ていてたのかも知れない。
そうなったら、今、日本に居る妻はどう思うのだろう?一歩間違えれば、新婚半年で体に障害が出ていたり、最悪、未亡人になっていたかも・・・?
マイナスの思考が止まらなくなる。そうなると、怖くて仕方がなくなってきた。はっきりと、身体がガタガタと震えてくる。乗客Cに襲われかけた高山のように。
そして、それが身体の異変となって表れる。
尿意が止まらない。尿意が来てトイレに駆け込むと、尋常じゃない量の尿が出た。その後、20分置き位にまた尿意が来る。その度に、尋常ではない量が出る。これが、5回程繰り返された。この間、水分補給はしていない。
漫画などで、恐怖に襲われたキャラがその場でお漏らしするシーンが描かれるが、あれは事実だと知る。俺はお漏らしこそしなかったが、人体は不思議なモノだと感じた。
そうこうしている内に、ようやく震えが止まってきた。脱水症状になるのでは?と不安になり、ペットボトルの水を飲み干した。
寝ている高山が羨ましい。そう思いながら、窓が明るくなるのを感じていた。ただ、その頃になって、ようやく記憶が途絶えた。
帰路1( 2004年 12月9日 10:00~13:30)
俺と高山はほぼ同時に起きたようだ。時計を見ると、9:00を少し回った所だ。
高山は、少し回復したようだ。顔に疲れの色は見えるが、昨夜の極限状況の中で見せた弱弱しさは感じず、いつもの高山に近い印象だった。逆に俺は、酷い状態だった。恐らく、3時間も眠れていない。昨夜、研ぎ澄まされていた頭も働かないし、身体も重い。
ただ、のんびりもしていられない。
昨夜寝る前に、高山と状況を整理した時、バルセロナからここまで凡そ4時間以上は移動していることを確認している。停車駅で長く停車するようなこともあったが、それでも相当時間がかかる。そこからドイツ、強いてはフライブルクまで帰る事を考えると、ここを早く出ないといけない。
簡単に身支度を済ませて、1階へ。宿主の姿はなく、ただただカウンターに鍵を置いて返しただけで、チェックアウトしたことにした。金は前払いだった。問題はないだろう。
宿を出てすぐ、昨夜のタクシーの運転手の言葉を思い出す。
(翌朝、この道を真っ直ぐに行け。10分もすれば駅だ!それでバルセロナに行ける!)
そのまま信じて教えられた道を行くと、駅に出た。タクシーの運転手に、改めて感謝する。
この駅は、コレラ(Colera)駅というらしい。この駅名は、字面がセレッソ(Cerezo)に似ているような気がして覚えていた。そう言えば、セレッソもスペイン語だ。
昨夜のポートボウは、寝台列車から下車した時に駅名は確認していなかったが、この覚えていたコレラ駅から逆算して導き出した。後に地図で確認したことだが、ポートボウとコレラの間には小高い山もある。俺がタクシーの運転手に、銃口を向けられるのではないか・・・と恐れた時にタクシーが通っていたあの山だろう。そう考えると、全て辻褄が合う。
コレラ駅で30分程待ち、ローカル列車に乗ってバルセロナへ戻る。凡そ、4時間の行程を逆戻りだ。
今は10:00なので、バルセロナ着は恐らく14:00過ぎ。そこから、バルセロナ空港に行く。そして、フランクフルト空港まで飛行機で飛び、ドイツの新幹線ICEでフライブルクへ戻る行程。フライブルク着は深夜近くになりそうだ。
コレラ駅で列車に乗る。恐らく、スペインでもかなりのローカル線だと思う。乗客もまばらだ。簡単に席を確保できた。
ただ、またここで俺の警戒心がやってくる。あの乗客は大丈夫か?スリではないか?不安が襲ってくる。異変を察知したのか、高山が、
有難いが、昨日の今日なのでなかなか眠れるような気がしない。
いや、大丈夫です
というのも、後1日耐えれば恐らくはドイツに帰ることが出来る。まだ、27歳で体力もある。宿では少しだが寝た。体力は限界に近いが、耐えよう!という決意もあった。
そんな状況が続いていたが、列車に乗って凡そ1時間位経った頃だろうか、列車内である光景を見る。それはとても心地の良い光景で、警戒心を持ち続ける俺を包み込んでくれるような感覚があった。
そして、その光景の記憶を最後に、俺は泥のように眠ってしまった。ここで、警戒心のスイッチが完全に切れたのだ。
帰路2 ( 2004年 12月9日 13:30~18:30)
高山の掛け声で目が覚める。ここがどこだか一瞬分からなかったが、直ぐにスペインのローカル線だと思い直す。次の駅で、乗り換えをするようだ。
時計を見ると、13:30を回っていた。どうも俺は2時間以上も寝たようだ。その間、高山はずっと起きてくれていたようで、何事もなかったと報告してくれた。
俺は体の疲れはあったが、頭がかなりスッキリしたのを感じていた。警戒心がなくなっている・・・と言うと語弊があるが、昨夜の異常事態のような警戒心を持つことは無くなっている。窓に映るスペインの何もない景色を楽しめるようになった。
そして、バルセロナ・サンツ駅へ戻ってきた。
バルセロナに来ることは今後一生ないかも知れない
と思った翌日に、バルセロナに戻ってきてしまった。ただ、今回は観光する時間はない。メトロに乗り、バルセロナ空港に向かう。40分程メトロで揺られると、バルセロナ空港に到着した。言い方は悪いが、スペイン脱出はもう目の前だ。
フランクフルト空港までの飛行機のチケットを購入する。本日の最終便に間に合った上に、幸いにも直前の購入で価格も安くなっていた。1人120ユーロ位だった(と思う)。日本円で2人で3万円位。事前予約だとその倍くらい取られていたようなので、格安にも程がある。俺の自腹となっても、そこまで痛くはない。
と思っていたら、ここで高山は自分の分は自分で出すと言い出した。金額を見て、『この金額なら・・』と思ったようだ。もう何も言わないが、本来あるべきところに落ち着いた。
簡単に食事を済ませ、搭乗ロビーへ。出発は18:30頃。フライト時間は凡そ2時間半だ。
ロビーでは何もする気力が起きなかった。出発まで1時間30分位の待ち時間があったと思うが、ただただ座っていた。でも、安心し切っている。
ここで改めて、高山から話しかけられた。
ここまで来れて、無事に帰る確信が高山にはあったのだろう。改まって感謝された。
逆に今朝、宿からここまでスムーズにこれたのは高山の語学力と海外の経験があったからこそ。そこは、こちらからも感謝した。意外といいコンビなのかも知れない。
そうこうしている内に、18:30になる。これで、ドイツに帰ることが出来る。
帰路3(2004年12月9日 20:30)
(当機は間もなく、フランクフルト空港に着陸します。シートベルトをしてお待ちください。)
機内アナウンスが流れる。ドイツ語なのかスペイン語なのかは分からないが、恐らくはそう言っているのだろう。この機内アナウンスで意識が戻る感覚があった。
どうやら、眠っていたようだ。腕時計を見ると、20:30。バルセロナ空港からフランクフルト空港まで、およそ2時間半のフライトだが、そのほとんどの時間で眠ってしまっていたようだ。
無理もない。ちょうど昨日の今頃の時間、バルセロナ発の寝台列車であのような出来事に巻き込まれたのだ。精神的にも肉体的にも疲れ果ててしまった。今こうして、空調の効いた機内で夢うつつな状態で座っている事すら奇跡にも思える。
ドイツに帰ってこれた!
思わず声に出る。それほど、安堵している自分がいる。
横に座る高山が反応する。高山も同じく、機内アナウンスで目が覚めたようだ。
そうだ、俺たちはドイツに帰ってこれたのだ。そう思うと、2人で自然に笑顔にもなる。左手の窓をのぞく。眼下には、フランクフルトの夜景が広がる。綺麗だ。そして、大きい。この景色、二度と忘れることはないだろう。
座席上のシートベルト着用のライトが点灯し、飛行機は着陸体勢に入った。ドイツまでは、もうすぐそこだ。
後日談(12月13日)@フライブルク
週が明け、12月13日の月曜日になった。通常通りの勤務である。ただ、この日はオフィスに到着するなり、日本の本社勤務の同僚から電話が鳴り響いた。ドイツ支店の出社時間に合わせて、電話をしてきてくれたようだ。
あの日、日付が変わろうとする深夜にフライブルクの社宅へ到着。翌10日の金曜日の出社は、
と言い合いながらも、2人ともきちっと時間通りに出社した。悲しいかな、そこは日本人の性だと思った。
出社後、取り急ぎ上司と社長にバルセロナの商談の事、帰りの寝台列車でパスポート窃盗団に会った事をメールで簡単に報告した。『何があった?大丈夫だったか?ただならぬことがあったとは思うのだが・・』と上司から返信があったが、とりあえずは無事で、詳しくは報告書に書いて連絡する旨を伝えた。
日本とドイツの時差は8時間(サマータイム時は7時間)。日本の方が早く進むので、ドイツの9:00の出社は日本では17:00になる。本社営業時間(17:30)ぎりぎりだ。それまでに、報告書はまとめきれない。
報告書は、商談の件と寝台列車の件の2つに分けて書いた。本社では、残業組も残っていないであろう時間帯に書き上げた。商談の報告書は社長と上司へ、寝台列車の報告書は全社員へ送信した。
寝台列車の報告書は、起こった出来事を時系列で事細かく書いた。これからドイツ(あるいはバルセロナ)に俺と入れ違いに来る他の社員への注意喚起のつもりだった。加えて、全社員に俺と高山の恐怖を少しでも共有してもらって、こちらの心の負担を減らしたい思いもあった。
週が明けたこの月曜日にドイツ支店の電話が鳴り響いたのは、その寝台列車の報告書を読んだ同僚が安否確認の連絡を取ってきたからだ。確認すると、メールも多く届いていた。
普段は電話はしてこない社長からも電話が来た。
『社員をそんな危険な目に合わせたのは痛恨の極みだ。申し訳ない。』
しっかりと、下車した寝台列車代、コレラでの宿代、翌日の飛行機代諸々、領収書がない分も支給すると約束してくれた。普通で考えれば当たり前の事だと思うが、何せケチな会社である。色々な意味で、俺は少し胸をなでおろした。
上司からも、
『2人とも良く耐えてくれた。バルセロナ行きを指示したのは俺だ。申し訳なく思う。』
と労いの言葉を頂く。少し、報われる。
上司からは加えて、バルセロナでの商談は断る予定とも伝えられる。商談の報告書を読み、約束日を間違え、2時間も遅刻するのは許せないとの理由だったが、俺と高山の命懸けの苦労が水泡に帰したようにも感じ、少し残念にも思えた。生ハムの味も、思い出した。
他、数人の同僚からも電話があった。その内の1つが、社員全員から『姉さん』と慕われる女性社員からの連絡だった。
『報告書読んだで!推理小説みたいでオモロかったわ~。大変やったなwwww』
豪快な性格の姉さんらしく、笑い飛ばされた。ただ、姉さんはいつも通りの姉さんだった。社長や上司を含めて電話してきてくれたほとんどの人は、こちらに気遣って普段のトーンではなかった。
笑いごとちゃいますわwww ホンマ、死ぬかと思いましたわwww
つい、こんな反応をしてしまう。姉さんの笑い飛ばしが、俺を日常に引き戻してくれたような気もして嬉しかった。姉さんなりの気遣いなのだろう。
そんな姉さんだが、実は高山以上に海外生活の経験が豊富な人物である。報告書の内容について、補足的な所を教えてくれた。その場にいないので確証はないとしながらも曰く、
『パスポート窃盗団で間違いない。』
客室で同室になった乗客Aは鍵を開ける役割を担っていて、部屋に鍵を掛けたとしても、頃合いを見て中から鍵を開けて仲間を内に入れる算段だったはずとのこと。
また、乗客Bと乗客Cが廊下の両端に立っていたのは、俺たちが逃げないようにする為の監視と、警察などの第三者が来た場合に追い払う(或いは時間を稼ぐ)役割を担ってたのだろう。そして、常に俺たちを見ていたのは、心理的に追い詰める為の威嚇。
(ちなみに廃人の男が裸足だったのは、『寝てる乗客に気づかれないよう、足音を立てない為』と教えてくれた。)
プロとかエキスパートとか窃盗団に対する表現としては適切ではないが、そういうレベルのかなり犯行慣れした集団だろうということ。恐らくは、乗務員も仲間に引き入れている。そんな一団に目を付けられ、かなり危険な状況であったのは間違いなさそうとのこと。
聞いていて背筋が凍る。
姉さんは続けて言う。
『逃げて正解。』
実は、姉さんの友人にもこの手の被害にあった人が複数いるという。その内の1人は、睡眠薬で眠らされてパスポート、財布を取られたとのこと。加えて、窃盗だけで済めば良かった(良いはずはないが)のだが、その友人は、
『全力で殴られていた』
らしい。
窃盗団はターゲットを眠らせた後、睡眠薬が効いているか?を確認するために『殴る』らしい。更に、もし睡眠薬が効いていなかった場合を考慮して、『失神させる位の力で何発も殴ってくる』とのこと。実際、それで命を落とした人もいるらしい。
その姉さんの友人も、被害にあったのは炎天下のビーチ。睡眠薬で眠らされて、何発も殴られた上で炎天下のビーチに放置されていたとのこと。もう、めちゃくちゃだ。その友人は何とか命を取り留めたものの、そこから2ヶ月程、海外で入院生活を送る羽目になったとのことだった。
こうならない為にも、
『疑わしい存在からは、離れるのがベスト』
これ以外に方法はない。姉さんからも、『それだけ包囲網にハメられてたのに、よく逃げ切った!本当、よく下車の選択をした!』と褒められた。
姉さんとの電話を終えると、どうしても自分に置き換えてしまう。コレラの宿で、身体が震え、何度も尿意をもよおしたことを思い出す。妻が未亡人になったら・・・とか大袈裟に考えていたのか?と思っていたが、あながち遠くない想像だったようだ。本当に恐ろしい。
廃人の男が端的だと思うが、人は落ちようと思えばどこまでも落ちることが出来る。その落ち方は、他人に悪影響をも及ぼす。そんな事を学んだスペイン遠征だった。悪意に触れることで、人の怖さを知った。
ただ、実際にそれだけだったのだろうか?そういう疑問も感じ、恐る恐るスペインに思いを馳せた。
エピローグ
昨夜の寝台列車からの逃亡劇の後、コレラと言う街で一泊し、またバルセロナに向かうローカル列車に乗っている。昨日、緊張を張り詰め過ぎたせいか、今も尚、その緊張が解けない。警戒心が止まらず、俺は目の前の乗客をスリではないかと疑っていた。
少し前に、高山から、
と声を掛けれらたが、どうもそれも出来そうにない。でも、今日一日を耐えれば、夜には社宅のベッドで眠っているはずだ。頑張ろう。
・・・そう思っていたが、俺は次の瞬間に泥のように眠ってしまった。ある光景を見てすぐだ。
その光景とは、
子供とその母親が楽しそうに話をしている
と言うものだ。子供は3歳位で駄々をこねていて、母親は困っている感じだったが、それでも2人は楽しそうに見えた。その母子のやり取りを見て、周囲の乗客も笑みを浮かべていた。
この光景を見た瞬間、
あー、これはここの日常なんだ
と思った。そう思うと警戒心のスイッチが切れた。また、高山が起きてると言ってくれたのもあるだろう、普通に眠ってしまったのだ。
海外に行く際、治安の良し悪しを気にする。当然のことだ。そして、治安の悪い所には近寄るなというのは常識だ。ただ、
その治安の悪い所で、普通に生活している人もいる。そんな偏見を持つのも良くない。
という事も言えるかも知れない。そういう意味で、治安を悪くする人物ではなく、もっと普通の人に目を向けるべきかも知れない。そこには、悪意のない人の普通の日常もあるはず。
憎むべきは悪い人物で、その地域ではないのかも知れない。その判断が難しいので、治安の悪い地域と一括りにしてしまう現状が悔しいと感じる。
この物語を通じて、悪い人物は列車内の登場人物だけである(確定ではないが)。
パエリアを混ぜろ!混ぜろ!と教えてくれた若い女性、2時間遅刻したクライアント、ポートボウのホテルマンやバーの女店主、タクシーの運転手、コレラの宿主、ローカル線の乗客。全て、普通の人たちだ。町ですれ違っただけの人を合わせると、圧倒的にこちらの方が多い。
そして、女店主やタクシーの運転手、宿主らに助けられて無事帰ることが出来た。言葉が通じずとも助けてくれた。人の強烈な悪意に触れ、俺は途中から人を疑う事しかできなくなっていたが、そういった恩恵に預かったことを再確認しておくべきだとも感じた。
海外は怖いが怖くない。そう考えようと思う。あくまで、楽しいのだ。
それを再確認するために、この週末、ゲルゼンキルヘンに向かう。SCフライブルクのアウェイ:シャルケ04戦を観戦する為だ。スペインでの寝台列車の影響で、列車での遠出は少し怖いのだが、楽しい思い出で上書きしてから日本に帰国するつもりだ。
チケットは、高山の協力もあってe-bayのネットオークションで取得済み。後はゲルゼンキルヘンまでの列車のチケットを購入するのみだ。フライブルク中央駅に向かう。今度はドイツ国内なのであり得ないが、チケット購入は間違えずに慎重にいこう。
(終)
あとがき
ここまでお読み頂いて、有難うございました。如何でしたでしょうか?前回ドイツ編の22000文字をはるかに超える、37000文字超えです(苦笑)本当の短編小説並みに書いてしまいました(苦笑)ただ、書いていて、めっちゃくちゃ楽しかったですw 自己満足ですw
最初にも書きましたが、ここに書いている事はほとんどが事実です。窃盗団と思われる一団に会った事、廃人の男に慄いたこと、寝台列車から降りて深夜にホテルで宿泊拒否された事、女店主、タクシーの運転手に助けられたこと、飛行機に乗るかどうか?で高山と喧嘩しかけた事、全て事実です。
フィクションは、バーゼルを通った際の曜一朗のくだり位ですね。曜一朗移籍の10年前のバーゼルで、そんな都合よく曜一朗のことを考えられるはずはありませんw ただ、この前年の2003年に曜一朗の中2時のユースカップ出場試合は、本当に見に行ってます。
この記事のまとめとして書いておきますが、海外で、
- フレンドリーに寄ってきた人物は注意すべき。
- そんな人物に勧められた食べ物は絶対に食べない。
- 眠らされると全力で殴られる。それによって命を落とす場合もある。
この辺は本当に注意すべきところだと思います。
作中に出した『姉さん』の話も、姉さんから聞いた内容をそのまま書きました。作中には書きませんでしたが、ビーチに放置された人は、実は『自分が飲んでいたペットボトルに睡眠薬を入れられていた』らしいです。仲良くなって一緒に遊んで、目を離した隙に入れられたのであろうと。自分の飲み物だから、そら飲みますよね。
また、僕や高山が乗ったような夜行列車は、本当に窃盗団が多いらしいです。そして、女性であれば痴漢で狙われることも。また、痴漢という表現ですら柔らかいようなことも・・・本当に恐ろしいです。
逆に、僕が往路で乗ったバーゼル経由の夜行列車は、パスポートコントールがあって車掌がパスポートを預かってくれました。故に、窃盗団も狙わない列車だったそうです。パスポートを手放すのが不安でしたが、逆に安全な列車だったという事ですね。
ただ、今はスイスもパスポートコントロールがなくなったと聞きます(2008年12月。スイスがシェンゲン協定加盟国加入)。恐らくですが、このような列車もなくなってしまったのではないですかね。
では、ヨーロッパでの移動で夜行列車は使わなくても良いのでは?
という事も言えます。確かにそうです。ただ、安くて寝てる間に移動できるため、旅が効率的になるのは間違いないです。海外のリスクの事情をよく知る人と一緒に行くのであれば、選択肢としては持っていても良いかと考えます。
そんな感じで、本当は列車の所だけ描こうと思ったのですが、そこだけだと『スペインは怖い所だ』と曲解されてしまう気もしましたので、女店主・タクシーの運転手に助けられた事も書きました。故に長くなってしまった所はあります。申し訳ありません。
ただ、人の怖さをここで中和したくて、女店主とタクシーの運転手の件は、僕の中では必要なものでした。改めて、
悪いのは窃盗団である
という所を強調したいと思います。
今は、コロナ禍で簡単に海外には行けませんが、落ち着いた時にこの記事の僕の経験が少しでも役に立てれば幸いです。
長々と書きました。ここまで読んで頂いて、本当に有難うございました。また、宜しければ感想頂ければ嬉しいです。