2023 セレッソ

【セレッソ】柏戦:それでも前向きに『否定はしない』その理由

セレッソ 1ー1 柏

2023.8.12@三協フロンテア柏スタジアム

劇的?な引き分け。

盆休みに入りましたが、色々とタイミングが悪くて外出はほとんどせず。今年は寝正月ならぬ、寝盆(笑)なので、ブログでも動かしとこうかと。

折角なので、色々と言っちゃいます。

試合内容・雑感

●スクランブル?もスタメンは現状のベストメンバー

スタメンを見て、

あれ?一人ベンチメンバーがたりない?

と。一瞬見間違いかと思いましたが、実際に1人足りない状況でした。

私も先日、新型コロ助を患いましたが、どれだけ気をつけていても体調不良になるのは突然ですよね。今回のセレッソのスクランブルが、新型コロ助であるか?は分かりませんが、体調不良の選手に早い回復を願いたいです。

スクランブルとは言え、スターティングメンバ―は最近の不動のメンバー。ここは、負けられない・・・という感じでしたかね。

●上手い×2の失点

で・・・いきなりの失点。

てか、ボールを取られた真司の所、真司はマテウスサヴィオに引っ張られてますよね(苦笑)?判断の難しい所ですが、真司、踏ん張れんかったかな?

というのも、個人的にこの試合の1つのキーとして、

倒れずにプレーを続ける

という所はあったように思います。そういう意味で、真司には踏ん張って欲しかったようにも思います。難しかったとは思いますけど(苦笑)

で、そこからの柏の2人が上手かったですよね。山田#11、戸嶋#28。

マテウスサヴィオの縦パスを受けた山田の『前を向いてボールを受ける』プレー、本当、見事でしたね。正直、

上手っ!!

と言ってしまいました(苦笑)

そして、そこからのカットインからスルーパス。それを受けた戸嶋のトラップからボールを持ち直さずに『1ステップシュート』。同じく、

上手っ!!!!

と(苦笑)

特に、戸嶋のシュートは、通常であればまだシュートが来ないというタイミング。映像を振り返ると、ヤンハンビンがプレジャンプ(セービングの1つ前の予備動作で軽く飛ぶこと)してないんですよね。故に反応が遅れる。翔のブロックも間に合わない。本当に見事なシュートだったかと。

こういうスーパーなゴールを見るのは、ちょっと得した気分になります。当然、、、セレッソから出て欲しいのですけど(苦笑)

●柏の受け

この試合、基本的に早い時間に先制した柏が、そこからカウンター狙い。セレッソが保持・・・という展開が続く感じでしたかね。

柏はリーグの順位が示す通り、リードしてからの守備はチグハグだったかな?と。受けすぎるのですね。DAZN解説:水沼パパが、

柏の選手は、自分の所で抜かれたくない。故に、個人で下がってしまう。チームのシステムとして見た時、そこでギャップが生まれてる。

という趣旨の解説をしてたのですが、DAZN観戦でも顕著にそれを見受けてました。

これ、残留争いを強いられるチームによく見られる光景ですよね。・・・というか、過去の降格した時のセレッソが、全くこういう感じでした(苦笑)個人個人で頑張るが、チームとしては成立してこない・・・という感じで。

だから、

リードされてても、この試合は慌てずに攻めれば勝てる

という意識はずっとありました。ただ、

そのギャップを、セレッソの選手が見つけられるかどうか?

これも水沼パパさんの言。

この辺、サッカーの妙ですよね。FWがそのギャップを見つけたとして、パスの出し手がそこを見えてなければ突けない。その逆もしかり。こういう所、この試合のセレッソは上手くなかったような印象でしたね。

まあ、伸び代です(笑)

●倒れずにプレーし続けることの重要性

この試合の個人的なハイライトは、69:15~の柏:細谷#19のプレーですかね。

陽のチェックで細谷が倒れれば、セレッソの選手は自陣に戻って守備ブロックをセットし直す事はできてました。そうなると、このカウンターも不成立。そうはさせずと立ってプレーし続けた細谷の勝利・・・というプレー。

こういうプレーを見るにつけて、

サッカー選手は立ってプレーし続けてナンボ

という気がしないでしょうか?戦術とか云々より、圧倒的に大事な所やと思います。

このブログを以前から読んで頂いている方で覚えておられる方も居られると思いますが、

セレッソは被ファールが多くなると苦戦する

というところはあると思ってます。ファールで止められて、相手が守備ブロックをセットし直した所からリスタートしないといけない・・・というのがその理由で。被ファールが多くなればなるほど、苦しくなるのは自明ですよね。

この試合のセレッソの被ファールは、19。かなり多いです。それ故に苦戦した、ファールで止めるとか、サッカー下手なん?と・・・といつもは書いてました。

ただ・・・これは、他責の思考。つまり、相手に責任があると考えた時に生まれる思考で。

これを自責で見れば、セレッソの選手が不必要に倒れてる可能性も否定はできないかな?と。

被ファール19回の内、

倒れずにプレーし続けられたのは何回かあったのではないか?

その中には、

プレーし続けたら、細谷のプレーのように次の展開が見込めたシーンもあったのではないか?

そういう視点でプレーを振り返って欲しいなと、個人的には思います。

まあ、個人的に見てて、最近のセレッソは不必要に倒れる選手は少なくなった印象はありますけどね。それでも、細部に拘るのであれば、その辺りの振り返りは必要なんではないかな?と細谷のプレーを見てて思いました。

神戸の武藤なんかも、こういう感じですよね。今の時代、フィジカル要素が求められる・・・と言われるのも、こういう所だと思います。スカッドも含めて、見直したい所です。

そんな所で・・・同点ゴール行きますか(笑)

●進藤の同点ゴール!!!

何故、そこに進藤!!!!!ようやく、今シーズン初が来ましたね(笑)

このヘディング、何気に難しいと思います。個人的な感覚ですが、サイドからのクロスも左右の違いで得手、不得手はあると思います。特に右利きの選手は、右からのクロスの方が合わせ易いのではないかな?

あくまで、個人的な感覚ですけど、僕は右利きで右クロスの方が合わせ易いですね。左からのクロスは、若干、身体に無理が出るというか。

そんなこともあって?か、このシーンの進藤は正面から丁寧に合わせる姿勢が見てとれます。絶好球、絶対に枠を外さないという意気込みが出てますよね。

何より、

何故そこ進藤!!!

ですよね(笑)大外フリーになる動き出し、見事だったと思います。

でもって、忘れてならないカピシャーバ。この試合通じて面白かったのが、カピシャーバと片山のマッチアップという所だったでしょうか。

セレッソに居る時に片山のプレーは多く見ましたが、個人的に持っていた評価で、

相手に前を向かせない戦術眼、厳しい寄せの速さがある。

反面、

相手と正対すると、モロさを見せる。

と言うのはありました。

片山がセレッソに来た当初(ユンさん時代)、正対の守備で結構、ブッコ抜かれてたんですよね。片山は元々オフェンス出身。相手と正対する単純な1vs1の守備は、そこまで上手くない印象は個人的に持ってました。

ただ、戦術眼というのは長けてて、その状態に持っていかせない上手さはある。ロティーナの時のようにやり方が上手くハマると、強みが色濃く出る・・というような個人的評価でした。

そんな片山と対峙するのが、カピシャーバ。

カピシャーバが前を向けば、だから大いにチャンスはあると思っていました。

カピシャーバをどうやって前を向かせるか?

というのも、この試合の1つのキーでしたね。まあ、この試合に限らず、最近のセレッソはずっとカピシャーバのこれがキーになってますけど(笑)相手が勝手知ったる片山だけに、より強くは感じてましたかね。

カピシャーバに対しては、柏は基本、片山+1の2人でマークに来てましたが、このシーンは完全に1vs1に持ち込めたのですよね。柏からすると、進藤が上がってくるスクランブルの対応で、中央に枚数を割いた分、カピシャーバの対応が1vs1になってしまった・・・そういう感じでしたかね。まあ、試合終盤のオープンな展開にはありがちで。

こうなれば、カピシャーバにとっては打ってつけ。アンクルブレイクは、見ていても気持ち良かったですよね。

色々と考えると、必然が生んだ?同点ゴールだったのかな?とも思うし、もっと早くに決めとけ!というシーンもあり。また、倒れなかった細谷のシーンで、試合を決められてたかもしれない。色んな偶然が生んだ、最後の必然の同点ゴール・・・という何とも訳の分からん印象のゴールではありました(笑)が、興奮したのは間違いありません(笑)


今回は、メインのお題・・・と言う程でもないですが、ちょっと思っている事を書こうかと思います。

サッカーは否定からは入らない

X(旧Twitter)でタイムラインをサラッと眺めておりますが、色々と『#なんか見た』という所はあります。その辺、少し。

タイムラインのどの事!?とも言わないですが、サポーターとしてのサッカー、応援するチームとの向き合い方とかそんな所ですね。こう書くと、タイムラインのどのことか?はある程度、予想が付きそうですけど(笑)

イマイチ整理し切れてない所もあるのですが、自分なりの向き合い方を書いてみようと思います。そこから、少し飛躍した視点も書いてみようかと。

個人的なスタンスは、このブログもそうですけど、

セレッソの試合は前向きに楽しむ

という以外はないです。もう、はっきりとこれだけ。特に注意しているのは、

否定から入らない

という所ですね。

こういう試合レビューを書いてたりすると、そりゃ、はっきりと目に付きます。今のチームは、アレが出来てへん、コレが出来てへん・・・と否定的な部分ですね。ただ、レビューを書いたり、ツイートしたりするときは、否定だけを論うだけはしないようにはします。

まず、良かった所を書こうと。そこから始めようと。

セレサポとして、ぬるい・・・と感じられる方も居られるでしょう。確かに、そういう側面はあるかも知れません。が、他の方にどう思われようとも、このスタンスは変えません。

『サポとは、こうあるべき!』的なサポ論は昔からあるのですけど、そういうモノに照らし合わせることもしません。ぬるいからサポじゃない・・・と言うのであれば、別にファンという立ち位置でも良い・・・とも思ってます。肩書きでサッカーを見る訳でもないですからね。

ぬるいかどうか?は別として、僕のサッカーの見方としては、

否定から入らない

は絶対的なものです。まあ、完璧には出来てないですけど(苦笑)

そうしているのも、理由はあります。

その理由の1つが、『サッカーを楽しく語りたいから』ですかね。

僕の友人・知人でも、サッカーを良く知ってる/詳しいと感じさせる人は多くいます。現役Jリーガーのご兄弟や、元ガンバユースの選手(現サラリーマン)らが居ますかね。彼らは総じて、

選手のプレーの何が良かったのか?を説明できる人

です。

そして、彼らから、

否定的な指摘はほとんど聞いた事がない

です。

代表選手のような、一般的に多くのやり玉に挙がり易い選手でも、

あの選手、ここのこういう所が上手いよね。

という言い回しに変わります。聞いてても気持ちが良いですよね。

こんな感じで、僕の友人・知人に限ってですが、

サッカーに詳しい人は、『プレーの良さを語り、否定をしない』。

これは例外なく・・・ですね。その根底には、選手へのリスペクトを感じます。自分もこうありたいな・・・と思うので、真似をするようにしてます。

否定から入らない理由の、それがまず1つ。これ、僕の現在のサッカー観の礎にもなっている所はありますね。

そして、別の理由として、

否定から入ると、色んな矛盾が出てくる

というのはありますよね。

これ、代表戦の戦評とかでよく見たりしますが、否定から入ってチームが良い成績を残した場合、

たまたま、上手く行っただけ。運が良かった。

と言う論調になるのですね。そして、チームがどんどん良い成績を残して行っても、

幸運が重なってるだけ。その内に、その運も尽きる。

とか、ロジカルな分析からは程遠い評価をし始めるのです。

これ、自分の評価(『ショボいチームだ!』)と、結果(『勝利!』)が一致しないのですね。だから、ロジカルな評価にならなくなる。『たまたま上手く行った』と言ってる人は、だいだいこの『否定から入った自分の評価と結果が一致しない』パターンにハマった人ですね。

そうこうしている内に、特に自称サッカー通のプライドの高い人は、

自分の否定の評価を正当化するために、選手・チームの悪い所を粗探しするだけになる

という所に終始しするのですね。W杯でベスト8に入ろうか?という成績でも、肯定できなくなってしまう。世界中のサッカー評論家が、日本の戦術が優れてた!と評価してたのに、それを受け入れられない。

違う例も挙げてみると、『戦術がない』という理由で『たまたまゴールできてる』みたいな論評も見かけたりします。が、これははっきりとゴール・アシストした選手へのリスペクトに欠ける発言ですよね。実際に、

『たまたまゴールできた』と言われて、ゴールやアシストをした選手はどう思うか?

想像するまでもなくて。

発言した方は監督批判のつもりでも、実際にプレーしている選手にも『たまたまゴールできた』の額面通りのワードが伝わっていると思います。『戦術がない』という否定から入り、その否定を正当化させるためのこの発言の結果は、選手の日々の努力や素晴らしいプレーまでを否定する形になっていると感じます。

『監督憎し・・・』も理解できる所はありますが、その行為は選手をサポートするという視点でどうなんだろう?と思います。

このように、否定から入ると、好結果の時にどこかで大きな矛盾が生まれていると個人的には感じます。選手のプレーを褒めるだけに留めておけば良いのに・・・と感じてます。

※ 実際、誰が見ても珍プレー!みたいなゴール以外で、『たまたまゴールできた』は本当に禁句だと思ってます。

また、僕の友人知人のサッカーに詳しい人の中の1人で、僕の師匠(そんな大層なもんでもないですがw)とも言うべき人は、こういう否定の意見を言う人にはかなり手厳しく、

選手・チームの否定しかできない人は、『僕はサッカーを理解してないアホです!』と自らの無知を告白しているだけ。

という事を仰ってました。なかなかに、過激w

曰く、サッカーを評価するのにミスを見つけるのは簡単。シュートミス、トラップミス・・・一目瞭然で誰が見ても分かりますよね。逆に言えば、誰が見ても分かるような指摘しかできない人は、何が良いプレーか?を理解していない裏返しである・・・と。

だから、良いプレーを語れないんだと。派手なプレーとかは語れるのですけど、細かいプレーには目が行かずに的外れな指摘に終始する・・・と。

僕自身はアホとまでは思いませんがw、少なくとも『たまたまゴールできた』とか『運よく勝てた』みたいな評価の多くは、真に値するとは思えません(サッカーの試合なので、たまたま勝つことも稀にあるとは思いますが)。

そして、否定から入って、チームの悪い所の粗探しばかりしてる人を傍から見てて、

それって、サッカーを見てて楽しめてるのかな?

という感情があるのは、偽らざる気持ちです。

念のため、これは蔑視ではなく『素朴な疑問』です。

告白します・・・

で・・・・、すみません、この辺で、正直に告白しておきます。

偉そうに語ってきましたが、これらは、

過去の僕自身のこと

を言うてました(苦笑)読んで頂いてる方には説教染みた事のように感じたかも知れませんが、全て僕の昔の体験記です(苦笑)

昔は僕も否定から入ってました。自称サッカー通でプライドが高くw 今でもちょっと出る時があるのですが、アレはいけてない、とか、コレは駄目だった・・・とか色々上から目線でものを言うてました。

そんなある時、スタメン11人全員が僕の目では否定になってしまって。しかもその試合は、勝ち試合だったんですね。で、ふと冷静に、

あれ?チームが勝ったのに、何で素直に喜べないのだろう?俺って、何が楽しくてサッカー見てんだろ?

となりまして(苦笑)そんな時に、僕の師匠から上で紹介した言葉を頂きました。もう、20年位前の話ですね。

そこで、自分が選手・チームの悪い所の粗探ししかしてないことに気付きました。

『僕はサッカーを理解してないアホです!』と自らの無知を告白してしまっていたな・・・

と(苦笑)

だから、自分もそうだったからこそ、思うのですよね。悪い所の粗探しばかりする人に、

それって、サッカーを見てて楽しめてるのかな?

と、前述の通り、素朴に疑問に思ってます。僕の経験上、楽しめてはなかったので。

意識を変えて見えてきたもの

自分がチームの悪い所を粗探ししていた・・と認識してから、意識を変えました。

仮にとある選手がミスが出た時、『何してんねん!どアホ!引っ込め!』ではなくて、その選手がどういう理由でその判断・プレーをしたのか?を想像する所から入るようになりました。

否定から入らない

というのは、こういう流れです。

否定から入らないようにサッカーを見てると、

プロの凄いプレーが見えてくる

ようになってきました。やはりプロ選手なんで、常人では出来ないプレーの連続なんですね。

否定から入り、悪い所ばかり粗探ししてしまって、『プロの凄いプレー』すら見なくなってしまうのは本当に勿体ないことだと思います。

また、選手のプレーに注視してると、良いプレーの基準というのも見えてきます。その基準から、

何が凄いのか?その理由が見えてきて、よりサッカーが楽しめる。

という所に気付きます。この思考は、そのまま、今のブログのスタンスになってますね。

また、否定から入らないので、応援しているチームが勝った時にすんなり勝利を受け入れられるようになったのですね。評価『自チームは凄い』=結果『勝利』なので、自分の評価と結果が一致するので。

これは喜ばしいことでしたね。結局、

応援しているチームが勝った時、素直に喜びたいだけなんだ

と言うことにも気づきました。否定から入らないだけで、全てが上手く回り始めた感覚でした。

こう理解すれば、逆に結果が一致しない時、つまり評価『自チームは凄い』で結果『敗戦』だった場合も、チームを否定するのではなくチームと一緒に泣こうと(笑)チームと喜怒哀楽を共にする意識を、ここで持てましたかね。

否定から入り、評価『自チームはショボい』で結果『勝利』→『たまたま勝った』と思ったり、評価『自チームはショボい』で結果『敗戦』→『それ見たことか!』と思うのは、自チームを応援してる・・・と言うには不自然さ、違和感を今では感じます。まあ、これは、あくまで僕自身の感覚ですが。

こう言った基準を明確に持っているので、出来るだけ『否定』は避ける。そこが、個人的な『サポとしてのスタート地点』となった所ですね。

サッカーを、強いてはセレッソの試合を楽しみたい!のであれば、

否定から入らない

と言うのは重要なことだと思います。


このような感じで、自分の経験を経て、師匠の言うことの意味を理解できるようになりました。アホやったなとw 長く連絡を取ってないけど、元気かな?今思うと、サッカーを楽しむのに重要な事を教わった気がしてます。

ちなみにこの師匠は、その昔、某試合後にピッチに乱入して、ディエゴ・マラドーナに抱きついた事があるようなアウトローですw そんな奴が言うて説得力あるんか!?と言う話ですがw 取る行動はクレイジーだけど、その『クレイジー』を知ってるだけに言う事は至極、真っ当・・・と言うか、そんな人でしたね。

あえて『否定』をしてみました。

ここまで書いて、お気づきの方も居られたと思うのですが、今回の試合レビューでは『否定』を書きました。

対戦相手ですが、元セレッソ:片山の所ですね。

相手と正対すると、モロさを見せる。

この件ですね。

これが正確かどうか?は別として、過去にセレッソに貢献してくれた元所属選手の否定を書く。自分で書いておきながら、なかなか気持ちの良いものではなかったです。

そして、次に対戦する時、片山に正対の1vs1をバシバシ止められたら・・・やはり、否定を入れたことを僕は後悔すると思います(苦笑)自分が今回書いた評価と結果が一致しなくなるので。だから、本来であれば『相手の弱点なんぞ書かない』が正解で、カピシャーバの活躍、良かった所だけを書くようなところでした。

・・・が、以下の説明のちょっとした実体験として、あえて、今回は『否定』を書いてみました。片山には申し訳ないのですけど(苦笑)

片山は、セレサポにも好きな人が多いと思います。そういう人達の中には、これを読んで不快に思われた方も居られたのではないかな?と想像します。もし、不快に思われた方が居るなら、それは『言葉の暴力』になってる可能性がある・・ということだと思います。(不快に思われた方には深くお詫び申し上げます。)

自身の何気ない『否定』の言葉は、それに関心を持つ人に刺さってしまう。その視点から広げて、昨今、SNSで問題になっているような誹謗中傷は、発した人からすれば他愛のないちょっとした『否定の言葉』も含まれてるのでは?と思っています。他愛ないちょっとしたものでも、刺さる人には刺さってしまう。

あくまで個人的な視点ですが、

言葉の暴力 ≒ 『否定の言葉

だと考えています。そこに他意はなかったとしても、受け手次第で言葉の暴力になってしまう。この側面から考えても、レビューを書く時に、

否定から入らない

という意識はあります。

『否定』からは、基本的に何も生まれないんですよね。生まれるとしても、『悪影響』しかないと個人的には思ってます。だから、今や公の場ともいえるSNSでも、否定は極力しない

色々書いてきましたが、あくまで、僕はこういう感じです・・・というのを言いたいところでした。個人の楽しみ方の問題なので『否定から入る』という人の『否定』もしないです。そうは読み取れないかも知れないですけど(苦笑)

前述の通り、元々は自分も否定から入っていた口なので、他の方にとやかく言う資格もないと思いますし、そこに僕の知らなかった楽しみ方があるのかも知れませんしね。そこは、個人の自由だと思います。

ただ、改めて『否定』を公の場で使うのは、本当に難しいなと感じます。自分自身でこの記事を書きながら、SNSの使い方も、色々と見直したいと個人的には感じました。聖人君主ではないので完璧には出来ませんが、自分の今後の記事にそう言った所が無いように心掛けて書こうと思います。

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